古事記及び日本書紀の研究 (こじきおよびにほんしょきのけんきゅう)
1919年
【概説】
大正時代に歴史学者・津田左右吉が著した学術書。記紀の記述を文献批判の立場から精緻に分析し、神話と史実を分離して科学的な古代史研究の基礎を築いた名著である。
文献批判による「記紀」の神話と史実の分離
著者である津田左右吉は、それまで『古事記』や『日本書紀』に記された神話や初期天皇の事績をそのまま史実として受け入れていた従来の歴史観を排した。津田は精緻な文献批判(文献学的方法)を導入し、両書の成立過程や矛盾点を厳密に比較・分析した。その結果、記紀に描かれた神話や初期天皇の物語は、5世紀から6世紀の大和朝廷による統一過程や、7世紀後半の天武・持統天皇期における王権(皇位継承)の正当性を説明するために後代に再構成された政治的意図を持つ創作であると論じた。これにより、神話と歴史的事実を明確に分離し、日本の古代史を科学的な実証史学へと高める先駆的な役割を果たした。
大正デモクラシー期の学問的自由と「津田事件」への発展
本書が刊行された1919年(大正8年)は、社会的に自由な息吹が満ちた大正デモクラシーの全盛期であり、このような合理的かつ批判的な学問研究が世に受容される土壌が存在した。しかし、昭和期に入って軍国主義や超国家主義が台頭すると、皇室の祖先を神話のレベルで論じる津田の学説は「国体を危うくするもの」として右翼や保守派から激しい糾弾を浴びるようになった。その結果、太平洋戦争直前の1940年(昭和15年)に本書を含む津田の著書4冊が発禁処分となり、津田自身も早稲田大学教授の職を辞し、出版法違反(皇室の尊厳冒涜)で起訴される「津田事件」へと発展した。本書とその受難の歴史は、近代日本における「学問の自由」の確立と挫折の歴史を象徴するものとして、今日でも極めて重要な歴史的意義を持っている。