刑法官
1868年〜1869年
【概説】
明治政府が1868年に制定した「政体書」に基づき、太政官の下に置かれた七官の一つ。近代的な権力分立における「司法」の役割を担い、裁判や警察、刑罰に関する事務を管轄した機関。
政体書の発布と「七官制」の導入
1868年(慶応4年)閏4月、明治新政府は新たな政治体制を規定した政体書を発布した。この政体書は、五箇条の御誓文の精神を具体化し、アメリカ合衆国憲法などを参考にしながら、日本で初めて近代的な「権力分立(三権分立)」の原則を掲げた。この方針のもと、国家の最高機関である太政官に権力を集中させつつ、実務組織として「七官」(行政官、神祇官、内国事務官、外国事務官、軍務官、会計官、刑法官)が整備された。この中で司法部門を分担する機関として位置づけられたのが刑法官である。
司法・警察の混同と制度的限界
刑法官は、裁判事務(司法)のみならず、治安維持や犯罪捜査などの警察事務(行政)も一手に担っていた。しかし、名目的には三権分立を謳いながらも、実際には最上位に位置する行政官の権限が圧倒的に強く、司法の独立は極めて不完全な状態であった。また、当時の日本には近代的な法典(刑法や刑事訴訟法など)が未だ整備されておらず、旧来の幕府法や藩法を用いた前近代的な裁判が行われていた。このように、刑法官は過渡期的な機関としての性格が強く、1869年(明治2年)7月の版籍奉還に伴う官制改革(二官六省制)によって廃止され、その機能は新たに設置された刑部省へと引き継がれた。