伊豆 (いず)
【概説】
現在の静岡県伊豆半島および伊豆諸島にあたる、東海道に属した令制国。律令制下においては都から隔絶された「遠流」の地として機能し、多くの政治犯や貴人が流された。平安時代末期に源頼朝が配流された地であり、後の鎌倉幕府誕生を導く歴史的転換点となった場所として知られる。
東海道の令制国としての成立と地理的特徴
伊豆国は天武天皇9年(680年)に、駿河国から東部の2郡(田方郡・賀茂郡)を分割して立国された。地理的には箱根や天城山系などの険しい山々に囲まれ、陸路による往来が極めて困難な半島地帯であった。また、周辺の海域は潮流が速く、本土から伊豆諸島への渡航も容易ではなかった。この「陸の孤島」とも言える閉鎖的な地形と、都から見て東国の入り口にあたる程よい距離感が、伊豆国を独自の役割を持つ地域へと方向付けることとなった。
律令制下の「遠流」の地としての伊豆
律令制における最高刑の一つである流刑(るけい)は、都からの距離によって近流(ちんる)・中流(ちゅうる)・遠流(おんる)の3段階に分かれていた。伊豆国は、佐渡や隠岐、土佐などと並び、最も重い刑罰である遠流の地に指定された。天武期に配流された役小角(役行者)をはじめ、平安時代には平治の乱で敗れた源頼朝や、保元の乱の後に伊豆大島へと流された源為朝など、政争に敗れた数々の貴族や武士がこの地に送られた。彼らは在地豪族の監視下に置かれ、政治の表舞台から完全に隔離されたのである。
源頼朝の配流と鎌倉幕府成立への道
平安時代末期、平治の乱(1159年)に敗れた源頼朝は、助命されて伊豆国の蛭ヶ小島(ひるがこじま)へと流された。頼朝はここで約20年に及ぶ監視・蟄居生活を送ることになるが、この環境が日本の歴史を大きく動かす契機となった。頼朝は伊豆の在庁官人であった北条時政の信頼を得て、その娘である北条政子と婚姻を結んだ。治承4年(1180年)、以仁王の令旨を機に頼朝が挙兵した際、その軍事的・政治的基盤となったのは、北条氏をはじめとする伊豆や相模の東国武士団であった。流刑地としての伊豆は、頼朝にとっては忍従の地であったが、同時に平氏政権を打倒し、初の武家政権である鎌倉幕府を誕生させるための揺籃の地となったのである。