什の掟 (じゅうのおきて)
【概説】
江戸時代の会津藩において、武家の子弟(少年たち)が厳格に守るべきものとされた行動規範。藩独自の集団教育制度である「什(じゅう)」において毎日唱え合われた道徳的な決まり事であり、末尾の「ならぬことはならぬものです」という理屈抜きの絶対的自己規律を促す結び言葉で広く知られる。
「什」の組織と郷中教育の仕組み
会津藩では、藩士の家柄の6歳から9歳までの少年たちを、居住地域(町内)ごとに10日前後ずつのグループに編成した。この最小単位の集団を「什(じゅう)」と呼び、その長を「什長(じゅうちょう)」とした。少年たちは毎日、什長の家に集まり、什の掟を唱和したのち、前日に掟を破るような行動がなかったかを相互に自己申告・反省し合う会合を開いていた。これは薩摩藩の郷中教育(ごじゅうきょういく)と並び称される、年長者が年少者を指導する極めて組織的で自主的な集団教育システムであった。
掟の具体的内容と「ならぬことはならぬものです」
「什の掟」は、以下の七カ条から成る極めて厳格かつ具体的な行動指針であった。
- 一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
- 二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
- 三、虚言(うそ)を言うてはなりませぬ。
- 四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
- 五、弱い者をいじめてはなりませぬ。
- 六、戸外で物を食べてはなりませぬ。
- 七、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ。
そして、これら七カ条の最後に「ならぬことはならぬものです」という言葉が付け加えられた。これは、善悪の基準や道徳的規律について理屈で議論することを一切認めず、人間として、また武士として「ダメなものはダメ」という規範を幼少期から無条件で内面化・肉体化させるための教育手法であった。掟を破った者には、軽重に応じて「無念(謝罪)」や「派(仲間外れ)」などの独自の制裁が科された。
会津藩の教育思想と歴史的影響
この什の教育は、会津藩の有名な藩校日新館(にっしんかん)に入学する(10歳)前の、人格形成期における家庭・地域教育として機能した。徹底的な自己規律と主君・目上への絶対服従の精神は、忠義の心に満ちた精強な会津武士を育成することに成功した。しかし、この妥協を許さない純粋な道徳観と強烈な忠誠心は、幕末の政局において会津藩の政治的融通性を奪うことにもなり、戊辰戦争(会津戦争)における白虎隊(びゃっこたい)の悲劇や、藩の破滅へとつながる要因ともなった。近代的な合理主義とは一線を画すものの、日本独自の精神教育のあり方を示す極めてユニークな史料である。