主権在君(君民同治)

国家の主権は天皇(君主)にあるものの、実際の政治は議会を通じて国民と君主がともに行うべきだとする、立憲改進党の穏健な立場を何というか?
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重要度
★★

主権在君(君民同治) (しゅけんざいくん(くんみんどうち)

1880年代

【概説】
明治時代の自由民権運動期において、立憲改進党などが提唱した国家主権および憲法制定に関する思想。国家の主権は天皇(君主)にあるとしながらも、実際の政治は議会を通じて君主と国民が共同で行うべき(君民同治・君民共治)であるとする立憲的妥協論である。

自由民権運動の展開と主権論争

明治10年代(1880年代)、国会開設の勅諭(1881年)を経て、日本国内では将来の憲法制定に向けた議論(私擬憲法論議)が活発化した。この時期の民権派は一様ではなく、思想的な分裂が生じていた。フランス流の急進的な民主主義に影響された自由党(板垣退助ら)や植木枝盛などは、国家の主権は人民にあるとする「主権在民(国民主権)」を唱え、一院制議会や抵抗権・革命権を認める過激な憲法草案を提示した。

これに対し、イギリス型の穏健な立憲政治を理想とした立憲改進党(大隈重信・矢野文雄ら)は、急進的な共和政への移行を警戒した。彼らは、天皇の伝統的権威を前提としつつ、イギリス風の議会政治・政党内閣制を導入するための論理として「主権在君(君民同治)」を主張した。これは、伝統的な君主制と近代的な民主制を調停させようとする過渡期的な思想であった。

藩閥政府の「主権在君」との差異と歴史的意義

一方で、明治政府(藩閥政府)の主流派である岩倉具視や伊藤博文らもまた、プロイセン(ドイツ)憲法を模範とした「主権在君」を構想していた。しかし、政府の目指す「主権在君」は、天皇の絶対的な大権を強調する「主権一尊」(天皇主権説)であり、国民や議会の介入を極力排除しようとする超然主義的なものであった。

これに対し、立憲改進党の唱えた「主権在君(君民同治)」は、主権の所在こそ天皇に置くものの、実際の統治権の行使においては議会(民意)の同意を不可欠とする点で、政府の専制的な天皇主権論とは明確に一線を画していた。この妥協的かつ現実的な思想は、のちに大日本帝国憲法下において、憲法の枠内で民主的な議会政治を運用しようとした吉野作造の「民本主義」や、美濃部達吉の「天皇機関説」といった大正デモクラシー期の憲法学説へつながる重要な系譜となった。

近世日本の国家権力と宗教 (法蔵館文庫)

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日本近代憲法思想史研究 (1967年)

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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