丸ビル

1923年に東京・丸の内に完成し、当時の近代的なオフィスビルと都市文化の象徴として「東洋一のビル」と呼ばれた建物の通称は何か?
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重要度
★★

丸ビル (まるびる)

1923年

【概説】
1923年(大正12年)に東京・丸の内に完成した「丸ノ内ビルヂング」の通称。当時東洋一の規模を誇った近代的な巨大オフィスビル。大正期の日本の急速な経済成長と、それに伴う都市の近代化・モダン文化の形成を象徴する記念碑的建築である。

丸の内開発と「一丁紐育」への変貌

明治期における丸の内は、陸軍の練兵場跡地が政府から三菱に払い下げられた後、赤煉瓦造りの西洋風建築が並ぶ「一丁倫敦(いっちょうろんどん)」と呼ばれるオフィス街として整備されていた。しかし、第一次世界大戦を契機とした空前の好景気(大戦景気)により、企業の急速な規模拡大と事務労働者の増加が進むと、従来の低層で手狭な赤煉瓦ビルでは急増するオフィス需要に対応できなくなった。そこで、米国流の大規模高層ビル建築の手法を取り入れ、土地の高度利用を図る計画が浮上した。これが丸の内を「一丁紐育(いっちょうにゅーよーく)」と呼ばれるアメリカ流の近代都市へと変貌させる画期となった。

アメリカ式高層建築の導入と関東大震災の試練

丸ビルの建設にあたっては、アメリカから最新の建設技術と大量生産された建設資材が導入された。三菱合資会社は米国のフラー社と提携して「東洋フラー製鉄及建設」を設立し、1920年に着工、1923年2月に竣工した。地上8階、地下1階、延べ床面積約1万8千坪(約6万平方メートル)におよぶ鉄骨鉄筋コンクリート造のビルは、当時「東洋一のビル」と称賛された。竣工からわずか半年後の1923年9月1日に関東大震災が発生したが、丸ビルは外壁の破損など一部の被害にとどまり、倒壊を免れた。この事実は、アメリカ式の鉄骨鉄筋コンクリート構造の耐震性と堅牢性を実証することとなり、震災後の東京の復興やその後の近代建築の普及において多大な影響を与えた。

「丸ビル」が創出したモダンな都市文化と社会変化

丸ビルは、単なるビジネスの拠点にとどまらず、新しい都市生活様式の発信地でもあった。特にビルの1階と2階部分を市民に一般開放し、アーケード(名店街)として衣料品店や飲食店、簡易郵便局、さらには日本初ともいわれるビル内美容室などを配置した。これは、一般市民がビルの中で買い物を楽しむという「モダン都市文化」の創出につながった。また、丸ビルで働くホワイトカラー(サラリーマン)や、新しく社会に進出した女性事務員は「丸ビルガール」と呼ばれ、大正デモクラシー期における大衆消費社会や「モダンボーイ(モボ)」「モダンガール(モガ)」のライフスタイルを象徴するアイコンとなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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