中島信行 (なかじまのぶゆき)
1846年〜1899年
【概説】
土佐藩出身の幕末・明治期の政治家。自由民権運動期に板垣退助らとともに自由党の結成に参画して初代副総理となり、後に開設された帝国議会において初代衆議院議長に選出された人物である。
自由民権運動への傾倒と自由党副総理への就任
中島信行は土佐藩士として生まれ、幕末には坂本龍馬率いる海援隊に加わって活動した。明治維新後は新政府の官僚となり、外交官や神奈川県知事、元老院議官などを歴任したが、国会開設運動の高まりのなかで官職を辞し、自由民権運動に身を投じることとなった。
1881年(明治14年)の国会開設の詔ののち、板垣退助を総理(党首)として自由党が結成されると、中島はその初代副総理に就任して党の運営を支えた。この時期、著名な女性民権活動家であった岸田俊子(のちの中島湘煙)と結婚したことでも知られ、夫婦で民権思想の普及に努めた。
初代衆議院議長への選出と晩年の活動
1890年(明治23年)、大日本帝国憲法の施行に伴って第1回衆議院議員総選挙が実施されると、中島は神奈川県から出馬して当選を果たした。同年に開設された第1回帝国議会において、衆議院の初代議長に選出され、超然主義をとる藩閥政府と「民力休養」を掲げる民党(野党)が激突する初期議会の緊迫した議事運営にあたった。
議長退任後は外交界に戻り、駐イタリア特命全権公使として不平等条約の改正交渉などに奔走した。帰国後は貴族院議員に勅選され、日本の議会政治と近代国家の形成に大きく寄与した生涯を終えた。