モガ(モダンガール)・モボ(モダンボーイ) (もが・もぼ)
【概説】
大正末期から昭和初期にかけて、西洋風の最先端のファッションやライフスタイルを取り入れ、東京の銀座などの街頭を闊歩した若者たちの俗称。従来の伝統的な価値観にとらわれない新しい生き方を体現し、都市大衆文化の黄金期を象徴する存在となった。
関東大震災後の都市化と大衆消費社会の到来
モガやモボが登場した背景には、1910年代後半からの大正デモクラシー期における自由主義的な風潮と、1923年(大正12年)の関東大震災後の急速な都市復興がある。震災後の東京では、道路の舗装や市電の整備が進み、近代的なビルディング、百貨店(デパート)、カフェ、映画館、ダンスホールといったモダンな都市空間が次々と出現した。また、メディアの発達によって大衆雑誌や新聞、ラジオ放送を通じて西洋の最新流行がリアルタイムで流入するようになった。このような激しい都市化と大衆消費社会の成立が、新しい風俗を享受する若者たちを生み出す土壌となった。
モガ・モボの装いと「職業婦人」の台頭
彼らの最大の特徴は、それまでの和装から脱却した西洋風の斬新なファッションにある。モガは、髪を短く刈り上げた断髪(ボブヘア)に、鐘型の帽子(クロッシェ)をかぶり、膝丈の短いスカートやストッキングを身にまとった。一方のモボは、アメリカの喜劇俳優ハロルド・ロイドに影響された丸いロイド眼鏡をかけ、裾の広がったラッパズボンを履き、ジャズ音楽を好んだ。特にモガの出現は、タイピストや電話交換手、デパートの店員、バスの車掌(バスガール)といった、自ら収入を得て都市で自立する職業婦人の増加と深く結びついていた。彼女たちは従来の家父長制的な「家制度」や「良妻賢母」といった規範に縛られず、恋愛の自由や個人の享楽を肯定する新しい女性像を提示した。
モダニズムへの逆風と昭和恐慌期の終焉
彼らの自由奔放な行動や西洋風の生活様式は、都市における「銀ぶら(銀座をぶらぶら歩くこと)」などの流行を生んだ一方で、保守的な世論や知識人からは「軽薄」「退廃的(デカダン)」であるとして激しい批判を浴びた。やがて1929年の世界恐慌に端を発する昭和恐慌が日本を襲い、さらに1930年代に入って満州事変など軍国主義の足音が強まると、自由で華美な都市文化は「非国民的」であるとして抑圧されるようになった。国家による思想や風俗の統制が強化され、戦時体制へ移行していく中で、モガ・モボと呼ばれた若者たちは急速に街頭から姿を消していくこととなった。