ミズーリ号
【概説】
1945年9月2日、東京湾上で日本の降伏文書調印式が執り行われたアメリカ海軍の戦艦。太平洋戦争の終結と、連合国軍による日本占領の始まりを象徴する歴史的舞台となった軍艦である。
降伏文書調印の舞台への抜擢とその背景
1944年に竣工したアイオワ級戦艦の3番艦であるミズーリ号が、日本の公式な降伏調印式の舞台に選ばれた背景には、当時のアメリカ政界における政治的意図が存在していた。時の大統領ハリー・S・トルーマンの出身連邦州がミズーリ州であり、同艦の命名者が大統領の愛娘マーガレットであったことが最大の要因とされる。また、陸軍主導で行われつつあった占領政策に対し、海軍のこれまでの貢献度を示すため、大統領が意図的に海軍のシンボルである戦艦を選定したという側面もある。
調印式の当日、ミズーリ号の甲板には、1853年に浦賀に来航して日本を開国させたマシュー・ペリー代将の艦隊が掲げていた「31星の星条旗」が飾られた。これは、日本を再び国際社会へ引き戻す(あるいは完全に屈服させる)という、アメリカ側の歴史的連続性を意識した演出であった。
1945年9月2日の降伏文書調印式
1945年(昭和20年)9月2日午前9時、東京湾に停泊したミズーリ号の露天甲板において、厳粛に調印式が開始された。日本側は、天皇および日本国政府を代表して東久邇宮内閣の外務大臣・重光葵が、大本営(軍部)を代表して参謀総長・梅津美治郎が署名した。
連合国側からは、連合国軍最高司令官(SCAP)であるダグラス・マッカーサー陸軍元帥がまず署名し、続いてアメリカ代表のチェスター・ニミッツ海軍元帥をはじめ、中国(中華民国)、イギリス、ソ連などの各国代表が順次署名を行った。この調印により、同年8月15日のポツダム宣言受諾(終戦の詔書発布)に続く、外交的・法的な戦争終結手続きが完了した。
歴史的意義とその後のミズーリ号
ミズーリ号上での調印は、単なる戦闘の停止にとどまらず、日本が主権を制限され、連合国(実質的にはアメリカ一国)による占領支配下に入ることを正式に決定づけた。この降伏文書によって、天皇および日本政府の国家統治の権限は連合国軍最高司令官の制限下に置かれることとなり、後のGHQによる戦後改革(農地改革、財閥解体、日本国憲法の制定など)への道が開かれた。
なお、役目を終えたミズーリ号はその後、朝鮮戦争や湾岸戦争にも投入された後、1992年に退役した。現在はハワイの真珠湾(パールハーバー)において記念艦として保存・公開されており、太平洋戦争の「始まりの地」において「終わりの象徴」として歴史を伝え続けている。