隠岐 (縄文時代)
【概説】
島根県の日本海沖に浮かぶ群島で、縄文時代屈指の良質な黒曜石の原産地。中国地方や近畿、北陸のみならず、朝鮮半島におよぶ広大な日本海交易ネットワークの中核を担った地域である。
「命の石」黒曜石のブランドと隠岐の優位性
縄文時代において、狩猟に用いる石鏃(せきぞく)や、獲物の解体・木工等に用いる各種石器の原材料として、割るとガラス質で極めて鋭い刃先が得られる黒曜石(こくようせき)は、人々の生存に直結する死活資源であった。しかし、黒曜石は火山活動によって生成されるため、日本列島内での産出地は北海道(十勝・白滝など)、中部山岳地帯(霧ヶ峰・八ヶ岳など)、伊豆諸島(神津島)、九州(腰岳など)など極めて限定されていた。
その中で、島根県半島の北方に位置する隠岐諸島(特に島後の知夫里層や久見など)から産出する黒曜石は、西日本において質量ともに他を圧倒していた。隠岐産の黒曜石は不純物が少なく透明度が高いという極めて優秀な性質を持っており、縄文人にとって一種の「高級ブランド」として重宝され、広範な需要を生み出すこととなった。
日本海を舞台とした広域交易ネットワークの成立
隠岐の歴史的重要性を決定づけているのは、島から切り出された黒曜石の広大な流通範囲である。隠岐産の黒曜石は、近接する山陰地方や山陽地方はもちろん、近畿、さらには福井県などの北陸地方におよぶ広範囲の遺跡群から出土している。さらに驚くべきことに、対馬海峡を越えた朝鮮半島南部(東三洞貝塚など)やロシア沿海地方の遺跡からも隠岐産の黒曜石が確認されている。
本土から約40〜80キロメートル離れた離島である隠岐からこれほど広範に石材が流通していた事実は、当時の縄文人が丸木舟などを巧みに操り、荒波の日本海を日常的に往来していた高い航海技術を持っていたことを証明している。隠岐は単に火山岩が採れる島というだけでなく、縄文時代における環日本海域の活発な物流と情報交換の中心地(交易の結節点)であったといえる。
隠岐における縄文人の暮らしと遺跡
島内の代表的な遺跡である久見(くみ)貝塚などからは、大量の黒曜石の原石とともに、石器を製作する過程で生じた剥片や未製品が多数出土している。これは、島民たちが単に原石をそのまま輸出していただけでなく、島内で一定の加工を行ってから交易に供していた可能性を示している。
島に定住、あるいは季節的に渡航してきた縄文人たちは、隠岐の豊かな海の恵み(魚介類や海獣など)を享受しながら黒曜石を採掘・加工し、それを本土の土器や植物資源、あるいは翡翠(ひすい)などの他地域の名産品と交換することで、豊かな経済・文化生活を築いていたと考えられている。