B29
【概説】
太平洋戦争末期にアメリカ軍が実戦投入した、当時世界最高水準の性能を誇る超大型戦略爆撃機。日本本土に対する無差別な焦土爆撃(絨毯爆撃)や、広島・長崎への原子爆弾投下を行い、日本を敗戦へと決定づけた総力戦兵器。
圧倒的な性能と「超空の要塞」の包囲網
B29は、アメリカのボーイング社が開発した四発エンジン搭載の大型爆撃機である。高度な技術を結集したその姿から「スーパーフォートレス(超空の要塞)」と称された。高高度の飛行を可能にする過給器(ターボチャージャー)や、高空の希薄な空気から乗員を守る与圧キャビン、さらにレーダー照準による遠隔操作式の機銃などを備え、当時の日本軍の戦闘機や高射砲では迎撃が極めて困難な高度から侵入することが可能であった。
1944(昭和19)年、中国の成都基地から九州八幡製鉄所への爆撃で本格的な日本本土空襲を開始した。さらに同年夏に米軍がマリアナ諸島(サイパン、テニアン、グアム)を占領したことで、日本本土のほぼ全域がB29の行動圏内に入り、日本各地の都市や軍事施設に対する大規模な空襲が常態化することとなった。
無差別絨毯爆撃への転換と銃後社会の崩壊
当初、米軍は軍事工場などを標的とする高高度からの精密爆撃を試みていた。しかし、日本上空の強い偏西風(ジェット気流)や天候に阻まれて効果が上がらなかったため、1945(昭和20)年初頭に第21爆撃集団司令官に就任したカーチス・ルメイは、爆撃戦術を劇的に転換させた。
それは、夜間に低高度から進入し、木造家屋が多い日本の都市特性に合わせて開発されたM69などの焼夷弾を大量に投下する、非戦闘員をも巻き込む無差別な絨毯爆撃(焦土爆撃)であった。同年3月10日の東京大空襲では、一晩で10万人近くの一般市民が犠牲となった。その後、爆撃対象は大都市から地方の中小都市へと広がり、日本の産業基盤と国民の戦意は徹底的に破壊され、銃後(銃の後ろ、すなわち民間社会)は完全に崩壊へと追い込まれた。
原子爆弾の投下と戦争の終結
B29が日本史、そして世界史に遺した最も決定的な足跡は、人類史上初の原子爆弾投下である。1945(昭和20)年8月6日に広島へウラン型原爆「リトルボーイ」を投下した「エノラ・ゲイ」、および8月9日に長崎へプルトニウム型原爆「ファットマン」を投下した「ボックスカー」は、いずれも原爆投下用に特殊改造されたB29であった。
この未曾有の破壊力を持つ超兵器の投下と、ほぼ同時に起こったソ連の対日参戦は、日本政府にポツダム宣言受諾を決断させ、アジア・太平洋戦争は終結を迎えた。B29による空襲は、前線の兵士だけでなく一般の市民をも戦争の渦中に巻き込み、大量に殺戮した。これは近代戦における「総力戦」の究極の姿を示すものであり、非戦闘員の無差別虐殺という人道上の問題として、現在も歴史的な議論が続けられている。