室生寺 (むろうじ)
【概説】
奈良県宇陀市の山間部に位置する、真言宗室生寺派の大本山。平安初期の山岳修行の面影を色濃く残し、女人禁制であった高野山に対して女性の参詣を認めたことから「女人高野」の別名で親しまれた寺院。豊かな自然に囲まれた境内には、平安初期の優れた建築や仏像が多数残されている。
1. 創建と山林修行の系譜
室生寺の起源は、奈良時代末期の宝亀年間(770〜781年)に、東大寺の僧・賢璟(けんけい)が皇太子の病気平癒を祈ってこの地で修法を行い、見事に霊験があったことから朝廷の命で創建されたことに始まる。室生の地は、火山活動によって形成された特異な奇岩や洞窟が多く、古くから水の神(竜神)が宿る聖地として、干ばつの際の雨乞い信仰の場であった。賢璟の遺志を継いだ弟子の修円(しゅうえん)によって伽藍が整備され、法相宗と密教が融合した独自の修行道場が形成された。
平安時代初期に最澄や空海が紹介した新仏教(天台宗・真言宗)は、平城京や平安京といった都市の世俗から離れ、深山幽谷に身を置いて修行することを重視する山林仏教(山岳修行)の性格を有していた。室生寺は、南都(奈良)の旧仏教とのつながりを強く保ちながらも、この山林修行の拠点として機能し、後に真言密教の聖地へと転化していくこととなる。
2. 「女人高野」としての信仰と歴史
真言宗の総本山である高野山金剛峯寺は、明治時代に至るまで厳格な「女人禁制」を敷き、女性の立ち入りを厳しく制限していた。これに対し、室生寺は古くから宗派の枠を超えて女性の参詣を受け入れ、救済の手を差し伸べたことから、「女人高野(にょにんこうや)」と呼ばれて親しまれた。
中世以降、真言宗の寺院としての性格が強まるなかで、室生寺は広く庶民、とりわけ女性たちの篤い信仰を集めるようになる。さらに江戸時代には、5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院(けいしょういん)の帰依を受け、その強力な財政的援助によって諸堂の修復や伽藍の再興が果たされた。こうした女性の有力支援者との結びつきも、「女人高野」としての名声を高める大きな要因となった。
3. 平安美術の宝庫と自然の調和
室生寺は山深い孤立した環境にあったため、中世の戦火や廃仏毀釈の波を免れやすく、平安時代初期の貴重な文化財が今日まで数多く遺されている。屋外に立つ木造塔としては日本最小とされる五重塔(国宝)は、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根を持ち、周囲の杉林と見事に調和した平安初期建築の最高傑作である。1998年の台風によって甚大な被害を受けたものの、懸命な修復作業を経て見事に復興を遂げた。
また、金堂や本堂に安置されている仏像群も美術史上きわめて高く評価されている。特に金堂の釈迦如来立像(国宝)は、平安初期木彫仏の特色である重厚な体躯と、衣服のひだが波打つように美しく刻まれた翻波式(ほんぱしき)の衣文表現を代表する傑作であり、当時の密教的神秘性を今に伝えている。