続日本紀 (しょくにほんぎ)
【概説】
菅野真道らが編纂し、平安時代初期の797年に完成した六国史の第二にあたる勅撰の正史。文武天皇から桓武天皇までの95年間を編年体で記しており、奈良時代の歴史を研究する上で欠かせない最根本史料である。
『日本書紀』の続編としての編纂の歩み
『続日本紀』は、日本初の正史である『日本書紀』の続編として企画された。編纂作業は奈良時代後半の光仁天皇の治世にはすでに開始されており、石上宅嗣や淡海三船といった当時の代表的な知識人が関与して初期の原稿がまとめられていた。しかし、政権の交替や歴史認識の変遷に伴って幾度かの改訂を余儀なくされ、編纂は長期化することとなった。
最終的に、平安時代初期の延暦16年(797年)、桓武天皇の命を受けた菅野真道(すがののまみち)、藤原継縄(ふじわらのつぐただ)、秋篠貞信らによって全40巻の形にまとめられ、奏上された。
律令国家の盛衰を描く記録
本書に記録されているのは、文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)までの95年間である。これはまさに日本の律令制が完成して全盛を極め、やがて制度的な矛盾が露呈して平安京へと遷都するまでの、激動の転換期に相当する。
大宝律令の制定に始まり、藤原四子政権の成立と疫病による滅亡、橘諸兄政権、藤原仲麻呂の乱、そして称徳天皇と弓削道鏡をめぐる政治的混乱など、奈良時代を彩る重大事件が克明に記されている。また、政治史のみならず、天平文化の隆盛、遣唐使の動向、蝦夷討伐、さらには地方社会の様子や自然災害に至るまで多岐にわたる記事を含んでおり、8世紀の日本社会を立体的に復元するための最重要史料となっている。
国語学史上の至宝「宣命体」
『続日本紀』は、中国の正史に倣い、原則として純粋な漢文による編年体で記述されている。しかし特筆すべきは、天皇が臣下に対して発した詔勅の言葉を記した全62編の「宣命(せんみょう)」である。これらは当時の日本語の語順に従い、漢字を正音で読む部分と、助詞や助動詞などを万葉仮名(小書き)で表記する部分を交えた独特の文体(宣命体)で記されている。
この宣命体により、当時の人々の口語的な表現や古代日本語の音声・文法構造がそのままの形で保存されている。そのため、歴史学のみならず国語学や日本文学の研究においても、計り知れない価値を持つ史料として扱われている。
勝者の歴史書としての側面と史料批判
国家事業として編纂された正史という性質上、『続日本紀』の記述には、完成当時の最高権力者であった桓武天皇や、その意を汲んだ編纂者の政治的意図が強く反映されている点には注意が必要である。
例えば、桓武天皇の父である光仁天皇(天智天皇系の皇統)への皇位継承を正当化するために、天武天皇系の最後となった称徳天皇やその寵愛を受けた道鏡に対しては、極めて批判的な筆致が見られる。また、政争で非業の死を遂げた長屋王や他戸親王に関する記述も、勝者の視点から構成されている。現代の歴史学においては、こうした編纂の意図や政治的バイアスを「史料批判」によって慎重に読み解き、木簡や正倉院文書といった同時代の一次史料と照らし合わせることで、より客観的な史実の解明が進められている。