歯舞群島・色丹島 (はぼまいぐんとう・しこたんとう)
【概説】
北海道根室半島の沖合に位置する、北方領土(北方四島)の一部を構成する島々。第二次世界大戦末期にソ連によって占領され、1956年の日ソ共同宣言において、将来の平和条約締結後に日本へ引き渡すことが約束された地域である。
第二次世界大戦末期の占領と領土問題の起源
歯舞群島と色丹島は、国後島、択捉島とともに日本政府が「我が国固有の領土」と主張する北方領土を構成している。地理的には根室半島の至近に点在する島々であり、歴史的には江戸時代から日本人が居住し、サケ・マス・コンブ漁などの漁業を営みながら開拓を進めてきた地域であった。
しかし、第二次世界大戦末期の1945年8月、ソ連は日ソ中立条約を破棄して対日参戦した。日本がポツダム宣言受諾を決定した後の8月28日から9月5日にかけて、ソ連軍は国後島・択捉島に続いて色丹島および歯舞群島を占領した。翌1946年、ソ連はこれらの地域を自国領に一方的に編入し、当時居住していた約1万7000人の日本人住民を強制送還した。これが、戦後の北方領土問題の起源である。
日本は1951年のサンフランシスコ平和条約において「千島列島」を放棄したが、日本政府は、歯舞群島・色丹島は北海道(属島)の一部であり、国後・択捉も日本固有の領土であって、放棄した「千島列島」には含まれないという立場をとっている。
日ソ共同宣言における「二島引き渡し」合意とその限界
1956年、鳩山一郎内閣のもとで国交正常化交渉が行われ、日ソ共同宣言が調印された。この際、最大の懸案となったのが領土問題であった。日本側は四島一括返還を求めたが、ソ連側は歯舞・色丹の二島返還による決着を主張し、交渉は難航した。最終的には領土問題を棚上げする形で国交を回復し、共同宣言の第9項において「平和条約を締結した後に歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡す」という妥協案で合意した。
この合意は、ソ連(後のロシア)が領土問題の存在を認め、かつ一部の返還(引き渡し)を国際約束として明文化した唯一の事例として、極めて高い歴史的意義を持つ。しかし、冷戦対立の激化に伴い、アメリカが日本の四島返還要求を強く後押ししたこと、また1960年の日米安全保障条約改定にソ連が反発したことから、ソ連は「外国軍隊の撤退」を新たな引き渡しの条件として追加し、平和条約交渉は事実上凍結されることとなった。
冷戦後の外交交渉と現代における課題
1991年のソビエト連邦崩壊後、後継となったロシア連邦との間で領土交渉が再開された。1993年の東京宣言では、四島の帰属問題を解決して平和条約を締結するという原則が確認された。また、2001年のイルクーツク声明では、1956年の日ソ共同宣言が交渉プロセスの基本法的な文書であることが再確認され、現実的な解決策として「二島先行返還」などのアプローチも模索された。
近年では、安倍晋三首相とプーチン大統領の間で、1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることで合意(2018年)するなど、歯舞・色丹の二島引き渡しを現実的な突破口とする動きが見られた。しかし、2020年にロシアで「領土の割譲を禁止する」憲法改正が行われたこと、さらに2022年のロシアによるウクライナ侵攻に伴い、日本が制裁措置をとったことへの対抗として、ロシア側が平和条約交渉の中断を一方的に宣言した。これにより、歯舞群島・色丹島を含む北方領土問題の解決は見通しが立たない状況に陥っている。