カドミウム

高校日本史的重要度
★★

カドミウム

1968年原因特定

【概説】
富山県の神通川流域で発生した四大公害病の一つ、イタイイタイ病の原因となった有毒重金属。岐阜県の三井金属鉱業神岡鉱山から排出された鉱山廃水に含まれており、下流の住民が農産物や飲料水を介して体内に取り込んだことで深刻な健康被害をもたらした。

イタイイタイ病の発生と原因究明

大正期以降、富山県神通川下流域において、腰や手足の激しい痛み、わずかな衝撃による骨折などを伴う奇病が発生し、地域住民を苦しめていた。戦後の高度経済成長期に被害がさらに拡大するなか、地元の開業医であった萩野昇らが原因究明に奔走し、鉱山廃水に含まれる重金属の影響を疑うようになった。その後、1968年5月に厚生省(現・厚生労働省)は、カドミウムの慢性中毒によって腎臓障害が引き起こされ、体内のカルシウムが失われて骨軟化症(イタイイタイ病)を誘発したと公式に発表。日本で初めて国が公認した公害病となり、その原因物質としてカドミウムが特定された。

神岡鉱山と鉱山廃水問題

カドミウムの発生源となったのは、神通川の上流に位置する岐阜県の三井金属鉱業神岡鉱山であった。同鉱山は明治期以降、近代化産業を支える亜鉛や鉛、銅などの一大採掘拠点として稼働し、戦時中から戦後にかけて増産を続けていた。しかし、その鉱石精錬の過程で生じたカドミウムを含む廃水が不十分な処理のまま神通川に流出。これが下流の田畑に流れ込み、土壌に高濃度のカドミウムが蓄積された。住民は汚染された土地で収穫された米(カドミウム米)や飲料水を長年にわたって摂取し続けたことで、体内に毒素を蓄積させていったのである。

公害裁判の展開と環境行政への影響

1968年、被害者とその遺族は三井金属鉱業を相手取り、損害賠償を求める訴訟(イタイイタイ病裁判)を起こした。1972年の控訴審判決において原告側が全面勝訴し、企業の無過失責任が認められた。これを機に、三井金属鉱業と被害者団体の間で「公害防止協定」が締結され、立ち入り調査や汚染土壌の復旧事業(客土事業)が進められることとなった。この一連の動きは、同時代に並行して進んでいた熊本水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくと並ぶ四大公害裁判の一つとして、1967年の公害対策基本法制定や1971年の環境庁設置など、日本の公害対策や環境行政を本格化させる歴史的な契機となった。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:47

日本史一問一答(ランダム)

Q. 荘園領主と地頭によって土地が分割されたことを示す、有名な「下地中分絵図」が残されている伯耆国(鳥取県)の荘園はどこか?
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