ニクソン
【概説】
泥沼化したベトナム戦争からのアメリカ軍撤退を進め、1972年に電撃的に中国を訪問したアメリカ合衆国第37代大統領。冷戦期の国際関係を大きく転換させたほか、二つの「ニクソン・ショック」や沖縄返還を通じて、戦後日本の政治・経済に多大な影響を与えた。
冷戦外交の転換とニクソン・ドクトリン
リチャード・ニクソンは、共和党出身のアメリカ合衆国第37代大統領(在任1969〜1974年)である。副大統領などを経て1968年の大統領選挙で勝利した彼は、泥沼化していたベトナム戦争からの「名誉ある撤退」を公約に掲げていた。1969年には、アジアの同盟国に対して過剰な軍事介入を避け、自主防衛努力を求める「ニクソン・ドクトリン」を発表し、アメリカの対外政策を大きく転換させた。
二つの「ニクソン・ショック」と日本への衝撃
ニクソン政権期の1971年、世界経済と国際政治に激震を走らせる二つの重大な発表が行われ、これらは「ニクソン・ショック」と呼ばれた。戦後日本史においても非常に重要な転換点である。
第一のショックは、7月に発表された電撃的な中国訪問の計画である。それまで冷戦下で中華人民共和国と敵対していたアメリカが極秘裏に関係改善を進め、翌1972年にニクソン自身が訪中して米中関係正常化への道筋をつけた。この動きは、事前に同盟国である日本(佐藤栄作内閣)への相談なしに行われた「頭越し外交」であったため、日本政府に強烈な衝撃を与えた。しかし、これが決定的な契機となり、直後に成立した田中角栄内閣による1972年9月の日中国交正常化へと繋がっていった。
第二のショックは、同年8月に発表された金とドルの交換停止(ドル・ショック)を中心とする新経済政策である。ベトナム戦争の莫大な戦費などで悪化したアメリカの国際収支を改善するための措置であったが、これにより戦後の国際通貨体制を支えてきたブレトン・ウッズ体制は崩壊へと向かった。1ドル=360円の固定相場制の前提が崩れ、同年12月のスミソニアン協定を経ても通貨不安は収まらず、1973年には変動相場制へと移行することになる。これは、日本の高度経済成長期が終焉を迎える大きな要因の一つとなった。
沖縄返還と日米繊維交渉
日本の昭和史において、ニクソンは沖縄返還を実現させた際のアメリカ大統領としても名を残している。1969年11月、日本の佐藤栄作首相とニクソン大統領による日米首脳会談が行われ、「核抜き・本土並み」での沖縄返還に合意する共同声明が発表された。これにより、1972年5月15日に沖縄の日本復帰が実現した。
ただし、この歴史的な返還交渉の背後では、アメリカ国内の産業保護を目的とした日米繊維交渉が激しく交わされていた。ニクソンは沖縄返還を認める見返りとして、日本側の繊維製品の対米輸出自主規制を強く求め、結果的に日本政府が譲歩を余儀なくされた。この複雑な日米の取引構図は、当時の日本の世論において「糸(繊維)を売って縄(沖縄)を買う」と皮肉られた。
ウォーターゲート事件と大統領辞任
外交面で歴史的な成果を挙げたニクソンであったが、1972年の大統領選挙戦の最中、野党・民主党の本部が置かれていたウォーターゲート・ビルに共和党関係者が不法侵入して盗聴器を仕掛けようとしたウォーターゲート事件が発覚した。後にニクソン自身がこの事件の隠蔽工作に関与していたことが明るみに出ると、アメリカ国内で猛烈な批判を浴び、議会からの弾劾が不可避な情勢となった。その結果、1974年8月に彼はアメリカ合衆国大統領として史上初めて任期途中で辞任に追い込まれ、政界から失脚した。