第2次石油危機

1979年のイラン革命をきっかけとした原油価格の急騰により、世界経済が再び陥ったパニックを何というか?
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第2次石油危機

1979年

【概説】
1979年のイラン革命を契機として原油価格が高騰し、世界経済に深刻な打撃を与えた経済危機。第1次石油危機に続く二度目の世界的インフレーションを引き起こしたが、日本は省エネルギー対策や産業構造の転換によって諸外国に先駆けて危機を脱し、国際的な経済的地位を相対的に高めることとなった。

イラン革命の勃発と原油価格の高騰

1978年末からイラン国内で反体制運動が激化し、翌1979年にイラン革命が勃発した。これにより親米派であったパーレビ国王が追放され、ルーホッラー・ホメイニを最高指導者とするイスラム共和国が樹立された。この政治的混乱によって、世界第2位の原油輸出国であったイランからの石油供給が大幅に減少した。さらに、OPEC(石油輸出国機構)がこの需給の逼迫に乗じて原油の公式販売価格を段階的かつ大幅に引き上げたことで、1973年の第1次石油危機に続く第2次石油危機(第2次オイルショック)が発生した。

日本国内への影響と「狂乱物価」の回避

第1次石油危機の際、日本経済はパニック的な買い占めや便乗値上げによる「狂乱物価」と呼ばれる異常なインフレーションに見舞われた。しかし、第2次石油危機の局面では、政府と日本銀行が過去の教訓を活かし、公定歩合の引き上げなどの機動的な金融引き締め政策を迅速に実施した。また、労働組合も企業の収益悪化を考慮して過度な賃上げ要求を自制するという協調的労使関係が機能した。その結果、賃金と物価がスパイラル的に上昇する悪循環を断ち切り、欧米諸国が軒並みスタグフレーション(不況下の物価高)に苦しむ中で、日本のインフレ率は相対的に低く抑えられた。

徹底した省エネルギー化と産業構造の転換

日本経済が第2次石油危機の打撃を最小限に食い止められた最大の要因は、民間企業による血のにじむような企業努力にあった。第1次石油危機以降、日本企業はエネルギー効率の向上や人員削減を含む徹底した「減量経営」を進めていた。同時に、多量のエネルギーを消費する重化学工業(鉄鋼・造船・石油化学など)から、付加価値が高くエネルギー消費の少ない加工組立型産業(自動車・家電・半導体などのハイテク産業)への産業構造の転換が急速に進展していた。この知識集約型産業へのシフトが、新たな危機のショックを吸収する強靭な経済基盤を生み出していたのである。

日本経済の国際的地位の躍進

第2次石油危機を世界で最も早く、かつ軽微なダメージで乗り切ったことは、日本経済の強靭さを世界に見せつける結果となった。特に、原油高を背景に燃費性能に優れた日本車の需要が世界中で急増し、アメリカ市場などで圧倒的なシェアを獲得した。これは後に日米貿易摩擦を激化させる要因ともなったが、省エネ技術と高い生産性を武器にした日本の輸出産業は著しい成長を遂げた。第2次石油危機は、1980年代における「経済大国・日本」の地位を不動のものとする、日本経済史における重要な成功体験にして歴史的転換点であったと言える。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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