NIES(新興工業経済地域)
【概説】
1970年代以降に輸出主導型の工業化を推進し、急速な経済成長を遂げた発展途上国・地域の総称。アジアにおいては韓国、台湾、香港、シンガポール(アジアNIES)がその代表であり、日本の高度経済成長に続く形で東アジアの経済発展を牽引した。当初はNICs(新興工業国)と呼ばれたが、台湾や香港などの「地域(Economies)」に配慮して、1988年以降に現在の呼称へと改められた。
アジアNIESの台頭と日本の経済構造転換
1970年代、日本は二度の石油危機(オイルショック)を契機に、それまでの資源多消費型の重化学工業から、省エネルギーで付加価値の高い知識集約型産業(自動車や精密機械、エレクトロニクス産業など)への転換を進めた。この日本の産業構造転換と軌を一にするように台頭したのが、韓国、台湾、香港、シンガポールのいわゆる「アジアNIES」である。
アジアNIES諸国は、豊富な労働力と比較的低い賃金水準を背景に、外資を積極的に誘致し、繊維や簡易な電気機器などの輸出指向型工業化を急速に推し進めた。このプロセスにおいて、日本はこれらの地域に対して資本財(製造機械)や中間財(部品や素材)を供給する重要な役割を果たした。結果として、日本を先頭にアジアNIES、さらにはASEAN(東南アジア諸国連合)諸国が追いかけるという「雁行型(がんこうがた)経済発展」のモデルが形成されることとなった。
プラザ合意と「産業の空洞化」への影響
1980年代半ば、アジアNIESと日本経済の関係は新たな局面を迎える。1985年のプラザ合意に伴う急激な円高の進行により、日本国内の製造業は輸出競争力を大きく喪失した。この状況を打破するため、多くの日本企業はアジアNIESへの直接投資を急増させ、生産拠点を海外へ本格的に移転し始めた。
この日本企業の海外進出は、アジアNIESの技術水準を飛躍的に高め、同地域が世界市場における一大供給基地へと成長する原動力となった。しかしその一方で、日本国内では工場閉鎖や下請け企業の廃業が相次ぎ、国内製造業の基盤が失われる「産業の空洞化」が深刻な社会問題となった。このように、NIESの経済成長は、日本経済をグローバルな国際分業体制へと組み込ませる契機となったと同時に、国内の産業構造調整という重い課題を突きつけることとなったのである。