日米安保共同宣言
【概説】
1996年に日本の橋本龍太郎首相とアメリカのビル・クリントン大統領との間で発表された共同宣言。東西冷戦の終結を受け、それまでの対ソ連防衛を主目的とした日米安全保障体制を「アジア太平洋地域における安定の基礎」として再定義したもの。
冷戦終結と「日米安保再定義」の背景
1980年代末から1990年代初頭にかけての東欧革命やソビエト連邦の崩壊により、東西冷戦は終結した。これにより、ソ連の脅威に対抗することを主眼としていた日米安全保障条約は、その存在意義(レゾンデートル)の問い直しを迫られることとなった。アメリカ国内では「冷戦の終結に伴い米軍を縮小すべきだ」という議論(平和の配当)が起こり、日本国内でも安保体制の簡素化を求める声が上がった。
しかし一方で、東アジア地域では冷戦後も不安定な情勢が続いていた。特に1993年から1994年にかけての北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核開発疑惑(第一次朝鮮半島核危機)や、1995年から1996年にかけての中台関係の緊張(台湾海峡ミサイル危機)は、地域における新たな脅威として顕在化した。さらに1995年には、沖縄で発生した米兵による少女暴行事件を契機に、沖縄の米軍基地反対運動が爆発的に高まり、日米同盟の維持そのものが揺らぐ事態となった。このような情勢下で、日米両国は同盟の意義を新たに定義し直す必要性に直面していた。
「アジア太平洋の安定」への役割拡大と宣言の内容
1996年4月17日、来日したクリントン米大統領と橋本龍太郎首相は首脳会談を行い、「日米安全保障共同宣言―21世紀に向けての同盟」を発表した。この宣言の核心は、日米安保体制を「日本の防衛」という従来の枠組みから一歩進め、冷戦後の「アジア太平洋地域における平和と安定の基礎」として位置づけた点にある(安保の「再定義」)。
宣言では、アジア太平洋地域におけるアメリカ軍の規模(約10万人)を維持することが確認され、日本側は在日米軍基地の安定的かつ効果的な提供を約束した。また、これに伴う緊密な防衛協力体制の構築に向け、1978年に策定された「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の見直しに着手することが合意された。
「新ガイドライン」策定と日本防衛政策の転換
日米安保共同宣言は、その後の日本の防衛政策を大きく変貌させる契機となった。宣言に基づき、1997年には新たな「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が策定された。これにより、日本有事の際だけでなく、日本の周辺で発生する事態で日本に重大な影響を及ぼす事態(周辺事態)において、自衛隊が米軍に対して後方地域支援(補給、輸送、捜索救助など)を行う枠組みが示された。
この新ガイドラインを法的に裏付けるため、1999年には小渕恵三内閣のもとで周辺事態法(周辺事態安全確保法)をはじめとするガイドライン関連法が成立した。これらは、従来の「専守防衛」の原則を大きく踏み越え、自衛隊の活動領域を「日本周辺」という地理的概念、あるいは事態の性質へと事実上拡大するものとして、国会内外で激しい憲法論争を巻き起こすこととなった。