京都議定書
【概説】
1997年に京都市で開催された気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)において採択された国際条約。先進国に対して、二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量について、法的拘束力のある具体的な削減目標を初めて義務付けたことで知られる。
地球環境問題の顕在化とCOP3の開催
冷戦が終結した1990年代、国際社会においては地球温暖化やオゾン層破壊といった地球環境問題が極めて重要な課題として浮上した。1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)において「気候変動枠組条約」が採択され、温室効果ガス削減に向けた国際的な協議の枠組みが構築された。しかし、同条約には具体的な削減目標や期限が設けられていなかったため、実効性のある取り組みを推進するための新たな合意形成が急務となっていた。こうした背景のもと、1997年(平成9年)12月に日本の京都市で気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)が開催され、長時間の難航する交渉の末に採択されたのが京都議定書である。
先進国への削減義務と「京都メカニズム」
京都議定書の最大の画期性は、先進諸国に対して温室効果ガス(二酸化炭素、メタン、代替フロンなど)の排出量削減について、法的拘束力のある数値目標を初めて設けた点にある。第一約束期間(2008年〜2012年)において、1990年を基準年とし、日本は6%、アメリカは7%、欧州連合(EU)は8%の削減が義務付けられた。一方で、発展途上国には「共通だが差異ある責任」という原則に基づき、当面の削減義務は課されなかった。また、目標達成を柔軟にするための経済的手法として、他国と排出枠を売買できる「排出量取引」や、途上国での技術支援による排出削減分を自国の削減分に充当できる「クリーン開発メカニズム(CDM)」などの、いわゆる「京都メカニズム」が導入されたことも特筆すべき点であった。
大国の離脱と発効への困難な道のり
しかし、京都議定書が実際に効力を持つまでの道のりは平坦ではなかった。特に、当時世界最大の温室効果ガス排出国であったアメリカは、自国の経済への悪影響や、中国やインドなどの排出大国である途上国に義務が課されていないことへの不満から、2001年に発足したブッシュ政権下で議定書からの離脱を表明した。これにより議定書の発効要件を満たすことが危ぶまれたが、2004年にロシアが批准したことで要件をクリアし、採択から約7年後の2005年(平成17年)2月にようやく発効に至った。
歴史的意義と「パリ協定」へのバトンタッチ
京都議定書は、人類が初めて地球規模で温室効果ガスの削減に向けて具体的な一歩を踏み出したという点で、極めて重要な歴史的意義を持つ。しかし、時が経つにつれて新興国・途上国の経済発展が進み、削減義務を持たない中国が世界最大の排出国となるなど、世界の排出構造が大きく変化したことで、議定書の枠組み自体が限界を迎えることとなった。日本も、一部の先進国のみに義務が偏る第二約束期間(2013年〜2020年)への参加は見送った。こうした課題を乗り越えるため、2015年のCOP21では、途上国を含むすべての参加国に排出削減の努力義務を課す「パリ協定」が採択された。京都議定書は、このより包括的で画期的なパリ協定へと至る、国際的な気候変動対策の礎を築いた重要な試金石であったと評価できる。