気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3) (きこうへんどうわくぐみじょうやくだいさんかいていやくこくかいぎ)
【概説】
1997(平成9)年12月に日本の京都で開催され、温室効果ガスの具体的な排出削減目標を定めた「京都議定書」を採択した国際会議。地球温暖化防止に向けた国際協力の歴史において法的拘束力のある合意を形成した、平成期を代表する外交・環境史上の重要出来事。
冷戦後の日本外交と地球環境問題の浮上
1990年代の日本は、冷戦の終結や東アジアの急速な経済成長という激動の国際情勢のなかにあった。また、国内ではバブル崩壊後の経済停滞(いわゆる「失われた10年」)に直面するなかで、軍事力や経済力に依存しない「非軍事的な国際貢献」のあり方を模索していた。その中核として位置づけられたのが、地球環境問題への取り組みであった。1992年の地球サミット(環境と開発に関する国連会議)で採択された「気候変動枠組条約」を具体化するため、日本政府は第3回締約国会議(COP3)を古都・京都へと誘致し、主導的な役割を果たそうとした。
「京都議定書」の採択と日本の調停外交
会議は1997年12月1日から11日まで、国立京都国際会館で開催された。温室効果ガスの削減数値をめぐり、厳しい削減義務を求めるEU、経済への影響を懸念して消極的なアメリカ、そして削減義務の免除を求める発展途上国との間で激しい対立が生じた。議長国となった日本は、これら利害関係の調整に奔走し、会期を延長する深夜に及ぶ交渉の末、歴史的な「京都議定書」の採択へと導いた。この議定書では、先進国全体で温室効果ガスを1990年比で5.2%削減することを目標とし、各国別(日本は6%、アメリカは7%、EUは8%)の法的拘束力のある数値目標が初めて設定された。また、他国での削減分を取り込むことができる京都メカニズム(排出量取引など)が導入されたことも特徴である。
ポストCOP3の日本社会と環境政策の進展
京都議定書はその後、2001年のアメリカ(ブッシュ政権)の離脱という打撃を受けつつも、2005年に正式に発効した。COP3の開催と議定書の採択は、日本国内の環境政策を劇的に変化させた。政府は「地球温暖化対策推進法」などの法整備を進め、省エネルギー技術の開発やエコカー(ハイブリッド車)の普及を後押しした。さらに、産業界のみならず一般市民の間でも「クールビズ」や「マイバッグ運動」に代表されるエコ意識が定着し、環境配慮が社会の共通価値観となるなど、持続可能な社会への大きな転換点となった。