森喜朗内閣 (もりよしろうないかく)
【概説】
小渕恵三首相の急死を受けて、2000年4月に急遽発足した自民党・公明党・保守党による連立内閣。九州・沖縄サミットの開催や、21世紀の国家体制を見据えた中央省庁再編などの重要政策を相次いで実行した。しかし、首相の相次ぐ失言や危機管理対応の不備から世論の激しい批判を浴び、約1年の短命に終わった政権である。
「密室政治」批判による多難な船出
森喜朗内閣は、前首相である小渕恵三が脳梗塞で倒れ、意識不明の重体に陥った緊急事態を受けて誕生した。自民党内の実力者であった野中広務や青木幹雄ら、通称「五人組」と呼ばれる幹部らによる非公式な合意(密室合意)を経て森が後継首相に指名された。このきわめて不透明な選出過程は、野党やメディアから「密室政治」として厳しく糾弾され、政権は発足当初から正当性を欠くという弱点を抱えることとなった。
主要政策の実績と21世紀への構造改革
短命かつ支持率の低迷に苦しんだ森内閣であるが、歴史的に重要な政策や国際行事の実行という足跡を残している。2000年7月には、沖縄県で九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)を開催し、アジア太平洋地域での日本の主導的役割をアピールした。また、急速に進展する高度情報化社会に対応するため、IT基本法の制定や「e-Japan戦略」を提唱し、ブロードバンド環境の整備に努めた。さらに、2001年1月には、長年の懸案であった中央省庁再編を断行。従来の1府22省庁から、内閣府および12省庁へと統合・再編し、首相官邸の権限強化と行政の効率化を図った。これらは後の小泉純一郎内閣による構造改革の先駆的な土台となった。
度重なる失言と「えひめ丸事故」による退陣
政権は、森首相自身の不適切な言動によって自壊していった。2000年5月、神道政治連盟の会合で発した「日本は天皇を中心としている神の国」という、いわゆる「神の国」発言は、日本国憲法が定める政教分離の原則や国民主権に反するものとして世論の大反発を招いた。さらに2001年2月、ハワイ沖で米原子力潜水艦と愛媛県の実習船「えひめ丸」が衝突するえひめ丸事故が発生した際、森首相が事故の第一報を受けた後もゴルフを続けたことが発覚。政府の危機管理能力の欠如が致命的な批判を浴び、内閣支持率は一桁台にまで急落した。政権運営が不可能となった森首相は2001年4月に退陣へと追い込まれ、これが自民党内の劇的な勢力変化をもたらし、次代の小泉純一郎政権の誕生へとつながることとなった。