イラク戦争
【概説】
2003年、アメリカ・イギリスを中心とする有志連合が「大量破壊兵器の保有」や「テロ支援」を理由にイラクへ侵攻し、サドム・フセイン政権を崩壊させた戦争。日本の小泉純一郎内閣はアメリカをいち早く支持して自衛隊をイラクへ派遣し、日本の戦後安全保障政策における大きな転換点となった。
開戦の背景とフセイン政権の崩壊
2001年に発生したアメリカ同時多発テロ事件(9.11)以降、アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は「対テロ戦争」を世界規模で推し進めた。その一環として、イラクのサドム・フセイン政権が国連の査察を拒否して大量破壊兵器を隠匿し、国際テロ組織アルカイダを支援していると強く主張した。国連安全保障理事会において新たな武力行使容認決議の採択が難航する中、2003年3月、アメリカ・イギリスなどは国連の明確な承認を経ないまま、イラクへの空爆と地上部隊の進攻を開始した。圧倒的な軍事力により同年4月には首都バグダードが陥落してフセイン政権は事実上崩壊し、5月にはブッシュ大統領が大規模戦闘の終結を宣言した。
小泉内閣の対応と日米同盟の重視
アメリカ主導の単独行動主義的な軍事侵攻に対し、フランスやドイツ、ロシアなどの主要国は強く反発し、国際社会は大きく分断された。しかし、日本の小泉純一郎内閣は、北朝鮮の核開発や拉致問題といった東アジアの安全保障上の脅威を念頭に置き、「日米同盟こそが日本の安全保障の基軸である」という現実的判断を下した。その結果、日本政府はアメリカの武力行使をいち早く、かつ強力に支持する声明を出した。この対応は、国連中心主義からの逸脱ではないかとして、日本国内でも賛否を大きく二分する政治的な論争を引き起こした。
自衛隊イラク派遣と戦後安保政策の転換
フセイン政権崩壊後もイラク国内の治安は安定せず、テロが頻発する泥沼の状態に陥ったが、同時にインフラの復興支援が急務となっていた。小泉内閣はアメリカの要請と国際的な支援の枠組みに応えるため、2003年7月にイラク復興支援特別措置法という時限立法を成立させた。これに基づき、翌2004年初頭から陸上自衛隊をイラク南部のサマワへ派遣し、給水や医療、学校や道路の修復といった人道復興支援活動に従事させた。また、航空自衛隊もクウェートを拠点に空輸支援を実施した。
自衛隊が法律上の「非戦闘地域」とはいえ、現実にテロや戦闘行為が継続している外国の領域に派遣されたことは、従来のPKO(国連平和維持活動)とは次元が異なり、戦後日本の安全保障政策・自衛隊の海外派遣の歴史における極めて重大な転換点であった。自衛隊は一人の死者も出すことなく、2006年に陸上自衛隊が、2008年に航空自衛隊が活動を終了して撤収した。しかし、開戦の最大の理由とされた「大量破壊兵器」がのちにイラク国内で発見されなかったこともあり、アメリカの開戦の正当性や日本の支持判断、そして自衛隊派遣の合憲性については、現在に至るまで歴史的評価と検証が問われ続けている。