赤城(空母)
1927〜1942年
【概説】
太平洋戦争期における日本海軍の主力大型航空母艦。ワシントン海軍軍縮条約の制限下で巡洋戦艦から空母へと改装され、第一航空戦隊の旗艦として真珠湾攻撃などで活躍した。1942年のミッドウェー海戦において米軍機の急降下爆撃を受け、大破ののち自沈処分となった。
軍縮条約による誕生と近代化改装
空母「赤城」は、当初、八八艦隊計画における天城型巡洋戦艦として起工された。しかし、1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約によって主力艦の保有制限が課せられたため、廃艦を避けるべく航空母艦へと改装されることとなった。1927年に竣工した当初は、三段式の飛行甲板を持つ特異な形状であったが、航空機の大型化や運用の変化に伴い、1938年に一段全通式の飛行甲板へと近代化改装が行われた。これにより、日本海軍が誇る有力な航空主兵兵力としての体制が整えられた。
機動部隊の象徴とミッドウェー海戦での終焉
太平洋戦争の勃発に伴い、「赤城」は第一航空艦隊(南雲機動部隊)の旗艦となり、1941年12月の真珠湾攻撃を敢行して大戦初期の主導権を確保した。その後もインド洋作戦などで圧倒的な攻撃力を見せたが、大艦巨砲主義から航空機主体の戦術へと海戦のあり方を大きく変える先駆者となった。しかし、1942年6月のミッドウェー海戦において、米軍急降下爆撃機の奇襲を受け被弾した。当時、甲板上で行われていた兵装転換(爆弾から魚雷への交換など)が災いして誘爆が相次ぎ、消火不能に陥った末、翌日に駆逐艦の魚雷によって自沈処分された。この「赤城」をはじめとする主力空母4隻の喪失は、太平洋戦争における攻守の転換点となった。