人道に対する罪 (じんどうにたいするつみ)
【概説】
第二次世界大戦後の国際軍事裁判において、新たに規定・適用された国際法上の犯罪概念。国家の組織的な政策として行われた、一般市民に対する虐殺、奴隷化、追放、その他の非人道的な迫害行為。従来の国際法では裁ききれなかった国家権力による自国民への弾圧や非人道行為を処罰対象とした点に特徴がある。
概念の誕生とロンドン憲章
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)などの蛮行が明らかになるにつれ、従来の戦時国際法(ハーグ陸戦条約など)の枠組みだけでは、これらの行為を十分に処罰できないという問題が生じた。従来の交戦規定は主に「敵国の兵士や市民」に対する加害を対象としており、国家が「自国の市民」に対して行った組織的虐殺は主権の壁に阻まれ、国際法で裁くことが困難であったためである。
この法的な空白を埋めるため、1945年8月に連合国が制定したロンドン憲章(ニュルンベルク国際軍事裁判所条例)において、「平和に対する罪」、通例の「戦争犯罪」と並ぶ第三のカテゴリーとして「人道に対する罪」が明文化された。これにより、戦争の有無や加害・被害の国籍を問わず、人道に反する大規模な組織的暴力行為を国際法上の犯罪として処罰する道が開かれた。
極東国際軍事裁判(東京裁判)における適用と実態
ニュルンベルク裁判に続いて開催された、日本の戦争指導者を裁く極東国際軍事裁判(東京裁判)の憲章(第5条c項)にも「人道に対する罪」が導入された。しかし、東京裁判においてこの罪が個別の被告に直接適用され、有罪判決の主たる根拠とされるケースは事実上なかった。
その理由として、当時の日本が行ったアジア各地での捕虜虐待や民間人殺害、強制的労働などは、国家の最高方針として組織的に計画された「民族根絶政策」とは同一視し難いとみなされたことが挙げられる。そのため、日本軍による虐殺や非人道的行為の多くは、新規の「人道に対する罪」ではなく、従来から国際法上に存在していた「通例の戦争犯罪(B・C級戦犯)」の範疇において裁かれることとなった。結果として、東京裁判のA級戦犯の有罪判決の多くは、共同謀議による侵略戦争の遂行を問う「平和に対する罪」に基づいている。
事後法をめぐる法理的論争と現代への遺産
「人道に対する罪」の導入は、近代法の基本原則である「罪刑法定主義」や「法の不遡及(事後に作った法律で過去の行為を裁いてはならないという原則)」に抵触するとして、当時から激しい法理的論争を巻き起こした。東京裁判の弁護側や、日本の無罪を主張したインドのラダ・ビノード・パル判事らは、この罪が戦勝国によって事後的に創作された「事後法」であり、国際法秩序の正当性を揺るがすものであると批判した。
しかし、この時に示された「国家の主権であっても、基本的人権を蹂躙する組織的暴虐から免責されるわけではない」という思想は、戦後の国際社会に決定的な影響を与えた。この概念は、1948年の「ジェノサイド条約」や、現在の国際刑事裁判所(ICC)ローマ規程へと継承され、現代の国際人道法および国際人権法の基礎として定着している。