バラック

第二次世界大戦による空襲で住まいを失った人々が、終戦直後の焼け跡にトタン板などの廃材を利用して建てた、粗末な急造の簡易住宅を何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

バラック

1945年〜

【概説】
太平洋戦争末期の空襲によって焦土と化した都市部において、住居を失った人々が急造した簡易的な木造小屋。焼け残った廃材やトタン板、防空壕の部材などを用いて建てられ、戦後の極限状態における住宅難と、人々のたくましい生命力を象徴する。建築資材の不足と行政の支援遅れを背景に、都市復興の初期段階を支えた仮設建築物である。

空襲による焦土と戦後住宅難の発生

太平洋戦争末期の米軍による日本本土空襲は、東京をはじめとする主要都市の大部分を焼き尽くした。1945(昭和20)年8月の終戦時において、全国の罹災戸数は約223万戸に及び、外地からの引揚者や復員兵の帰還も重なったことで、日本全体で約420万戸という深刻な住宅不足に直面することとなった。

国や自治体による住宅供給は資金・資材ともに不足して立ち遅れたため、焼け跡に取り残された人々は、自力で雨露をしのぐ生活空間を確保せざるを得なかった。こうした状況下で、焦土から拾い集めた鉄板やトタン、焼け残った木材、あるいは軍から払い下げられたテントや防空壕の部材などを用い、極めて粗末な造りで応急的に建てられた住居がバラックである。これらは防水性や防寒性、衛生環境が著しく劣悪であったが、生活再建のための最低限の拠点として機能した。

闇市と都市景観における「バラック」

バラックは単なる住居にとどまらず、都市の戦後復興における経済活動の足がかりともなった。主要なターミナル駅周辺の焼け跡には、不法占拠の形でバラックが密集し、やがてこれらが生活物資や食料を取引する闇市(闇市街)へと発展した。新宿や池袋、梅田(大阪)などの大規模な駅前バラック群は、戦後の混乱期における混沌とした活気と、無秩序な都市空間の象徴となった。

日本国内における「バラック」の歴史を遡ると、1923(大正12)年の関東大震災後にも大量の仮設小屋が建てられており、当時は画家や建築家(今和次郎ら「バラック装飾社」)によって芸術的な美飾を施したモダンなバラックも登場した。しかし、第二次世界大戦後のバラックは、物資の極端な枯渇や社会の困窮から、装飾性を排除した、生きるための「剥き出しの生存空間」という性格がより一層強かった点に特徴がある。

これら無数のバラックは、1950年代に入り戦後復興が本格化し、日本住宅公団などによる公営住宅(団地)の整備や、戦災復興事業に伴う土地区画整理が進むにつれて順次解体・整理され、現代的なビル街へと姿を変えていった。

ポスト戦後社会: シリーズ 日本近現代史 9 (岩波新書 新赤版 1050 シリーズ日本近現代史 9)

高度経済成長の光と影を辿りながら、現代日本の構造的課題の原点となった転換期を冷静に解き明かす一冊。

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

アメリカとの対峙や沖縄の変遷を軸に、通説の裏側に隠された日本の「戦後」という時代の真の輪郭を描く書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 明治初期、鎖国政策をとり日本との国交樹立を拒否する朝鮮に対し、武力を用いてでも開国させようとする主張を何というか?
Q. 1911年に西田幾多郎が著し、「純粋経験」を唯一の実在として善や宗教の根本を論じた、日本近代哲学の金字塔とされる著作は何か?
Q. 1872年、翌年の徴兵令公布に先立ち、国民の兵役義務の必要性を説き「血税」という言葉を用いた政府の布告は何か?