小野田寛郎 (おのだひろお)
1922年〜2014年
【概説】
太平洋戦争終結後もフィリピンのルバング島に潜伏し、約30年間にわたり過酷な情報戦・ゲリラ戦を継続した元陸軍少尉。1974年に元上官からの正式な任務解除命令を受けて投降し、日本に帰還した最後の「残留日本兵」の一人。
陸軍中野学校の教えとルバング島での遊撃戦
小野田寛郎は1944年、対ゲリラ戦や諜報活動の専門教育を行う陸軍中野学校二俣分校を卒業後、フィリピンのルバング島へ派遣された。彼に下された任務は、島内でのゲリラ戦の展開と、これに伴う「自決の禁止(いかなる状況でも生き延びて任務を継続すること)」であった。1945年8月に日本が敗戦を迎えた後も、小野田は数々の終戦工作や投降勧告のビラを「米軍の欺瞞工作」と捉えて潜伏を継続。残された部下とともに、密林の中で隠密行動と情報収集活動を約30年にわたって継続した。
約30年ぶりの帰還と戦後日本社会への衝撃
1974年、日本の冒険家である鈴木紀夫との接触を契機に小野田の生存が広く知られることとなった。小野田は軍人としての規律を崩さず、「軍の命令がなければ武装解除に応じない」という姿勢を崩さなかった。そのため、かつての上官であった谷口義美が現地に赴き、直接「任務解除命令」を伝達することで、ようやく投降が実現した。すでに高度経済成長を経て「もはや『戦後』ではない」と評されていた当時の日本社会にとって、かつての軍服を身にまとい、凜とした軍人精神を維持したまま帰還した小野田の姿は、戦争という昭和の負の歴史を改めて人々に想起させる劇的な出来事となった。