第1回普通選挙(第1回普選)

1928年の田中義一内閣のもとで実施され、労働農民党などの無産政党が初めて議席を獲得した歴史的な選挙は何か?
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重要度
★★

第1回普通選挙(第1回普選)

1928年

【概説】
1928年(昭和3年)2月に田中義一内閣のもとで実施された、日本初の男子普通選挙。1925年に制定された普通選挙法に基づき、従来の納税額による制限を撤廃して実施された最初の衆議院議員総選挙である。有権者数が従来の約4倍に急増し、無産政党が初めて議席を獲得するなど、日本の政党政治における重大な転換点となった。

普通選挙法制定から実施への軌跡

大正デモクラシーの高まりを背景に、1925年(大正14年)に加藤高明護憲三派内閣のもとで普通選挙法が制定された。それまでの選挙制度では、直接国税3円以上を納める男子にのみ投票権が認められていたが、新法では納税条件が完全に撤廃され、25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられることとなった(ただし、貧困により生活の扶助を受けている者や軍人などは除外された)。これにより、有権者数は約328万人から約1240万人へと、一挙に約4倍に膨れ上がった。

この新制度下で最初に実施されたのが、1928年2月20日の第16回衆議院議員総選挙(第1回普通選挙)である。時の首相は立憲政友会の田中義一であり、政府は初の普選に向けて、有権者への啓発活動や選挙違反の取り締まりを徹底した。投票率は80.3%に達し、国民の政治に対する関心の高さを示すこととなった。

二大政党の角逐と無産政党の登場

選挙戦は、与党の立憲政友会と、野党第一党の立憲民政党(憲政会と政友本党が合同して結成)による激しい政権争いとなった。結果は、政友会が217議席、民政党が216議席と、わずか1議席差で政友会が第一党を維持したものの、過半数には達せず、政局は不安定なものとなった。

この選挙の歴史的意義として最も大きいのは、労働者や農民の利益を代表する無産政党が初めて国政選挙に挑み、議席を獲得した点である。社会民衆党、労働農民党、日本労農党、日本農民党などの無産諸政党は、資金難や内務省・警察による激しい選挙干渉に晒されながらも、合計で8議席(社会民衆党4、労働農民党2、日本労農党1、日本農民党1)を獲得し、議会政治の新たな担い手として台頭した。

治安維持法との「アメとムチ」と三・一五事件

普通選挙の実施は、大衆の政治参加を促す「アメ」の政策であったが、これは社会主義思想の拡大を恐れる支配層にとって大きな脅威でもあった。そのため、1925年の普通選挙法制定と同時に、思想締まりの法規である治安維持法がセットで制定されていた(いわゆる「アメとムチ」の政策)。

第1回普通選挙において、非合法組織であった日本共産党は、労働農民党などの合法無産政党を通じて大衆への働きかけを行い、その存在感を強めた。これに危機感を抱いた田中義一内閣は、選挙直後の1928年3月15日、全国一斉に共産党員およびその支持者を検挙する大弾圧を敢行した(三・一五事件)。さらに政府は同年、治安維持法を緊急勅令によって改正し、最高刑に死刑・無期刑を導入するなど、思想弾圧体制を急速に強化していくこととなった。第1回普通選挙は、日本の民主主義の進展を示す象徴的な出来事であると同時に、昭和戦前期のファシズムへと向かう治安体制強化の契機ともなったのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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