上杉慎吉

大正時代から美濃部達吉の天皇機関説と論争を繰り広げ、絶対的な天皇主権説を主張した保守派の憲法学者は誰か?
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上杉慎吉 (うえすぎしんきち)

1878年〜1929年

【概説】
明治後期から昭和初期にかけて活動した東京帝国大学の憲法学者。美濃部達吉の天皇機関説を強く批判し、天皇と国家を同一視する絶対主義的な天皇主権説を主張した保守派の論客。

穂積八束の継承と「天皇即国家」説の提唱

上杉慎吉は、初期の帝国憲法学において天皇主権説を唱えた穂積八束の門下であり、その正統な後継者として東京帝国大学教授となった。彼はドイツ留学で得た国家法学の知見を用いながらも、日本独自の「国体」を絶対視する独自の憲法解釈を展開した。上杉の憲法学は、統治権の主体は国家ではなく天皇個人にあり、国家と天皇は一体であるとする天皇主権説(天皇即国家説)に基づいている。この思想は、天皇の権力を憲法によって制限しようとする立憲主義的解釈を拒絶するものであった。

美濃部達吉との論争と右翼思想への影響

大正デモクラシーの気運が高まる中、上杉は、国家を法人とみなし天皇をその最高機関とする美濃部達吉天皇機関説と激しく対立した。1912(明治45/大正元)年、両者は学術雑誌上で激しい論争を展開し、これは学界に留まらず政界やマスコミをも巻き込む一大論争へと発展した。上杉は機関説を「国体を危うくするもの」として非難し、議会政治や政党内閣の進展に警鐘を鳴らし続けた。彼の頑迷なまでの天皇主権論は、大正期以降のナショナリズム運動や、後の昭和期における天皇機関説排撃事件へとつながる超国家主義の理論的源流となった。

民権と憲法: シリーズ 日本近現代史 2 (岩波新書 新赤版 1043 シリーズ日本近現代史 2)

明治から大正へ、激動の時代に自由民権運動と憲法論議がいかに展開し、近代国家の礎が築かれたかを描く歴史の要衝。

「天皇機関説」事件 (集英社新書)

国体論争の深層を突き、権力と学問の対立が民主主義をいかに変質させたかを紐解く、日本政治史の決定的な転換点。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 京都の高山寺に所蔵されている、明恵が豊かな自然の中で松の木に登って座禅を組む姿を描いた肖像画は何か?
Q. 縄文時代晩期以降に大陸から渡来した新モンゴロイドと、在来の縄文人が混血して形成された人々を総称して何というか?
Q. 和歌・漢詩・管弦のすべてに優れ、朗詠用の詩歌を集めた『和漢朗詠集』を編纂した平安中期の文化人は誰か。