化学工業
【概説】
大正時代の第一次世界大戦を契機とし、国内での自給自足(国産化)の必要性から急速に発達した工業分野。かつては染料や薬品などをドイツからの輸入に依存していたが、大戦による貿易途絶が国産化を強く促す結果となった。これが日本の産業構造における重化学工業化の端緒を開き、その後の経済発展の重要な基盤を形成した。
第一次世界大戦前の状況と輸入途絶の衝撃
明治維新以降の日本の産業革命は、主に綿紡績や製糸業などの軽工業を中心として進展してきた。一方で重化学工業の発展は遅れており、なかでも化学工業は未成熟な分野であった。当時の日本は、繊維産業に不可欠な合成染料や、医療現場で求められる医薬品、さらには工業用薬品の大部分を、世界トップクラスの化学技術を誇るドイツからの輸入に依存していた。
しかし、1914年(大正3年)に第一次世界大戦が勃発すると状況は一変する。交戦国となったドイツとの貿易が完全に途絶え、さらに他国の生産力も軍需に振り向けられたことで、日本国内では染料や薬品などの深刻な供給不足と価格高騰が発生した。特に日本の基幹産業であった繊維産業は染料不足により甚大な打撃を受け、化学製品の自給体制を確立することが国家的な急務となった。
政府の保護政策と国産化の推進
この未曾有の危機に対し、日本政府は化学工業の育成と保護に本格的に乗り出した。1915年(大正4年)には染料医薬品製造奨励法を公布し、一定の資本金を持つ企業に対して利益配当を保証するなど、手厚い補助金政策を実施した。これを受けて翌1916年、政府の強力な支援の下に半官半民の国策会社である日本染料製造株式会社が設立され、染料の国産化が強力に推進された。
また、1917年(大正6年)の理化学研究所の設立に見られるように、基礎研究から応用技術に至るまで国を挙げての科学技術振興体制が整備されていった。これらの政策的支援により、大戦期間中から戦後にかけて、コールタールを原料とするタール工業をはじめ、医薬品や工業用薬品の国内生産能力は飛躍的に向上していった。
電力業の発達と民間化学工業の台頭
政府主導の政策と並行して、民間企業による化学工業の発展も著しかった。その背景には、大正期における水力発電の急速な普及と電力網の拡大がある。豊富な電力を安価に利用できるようになったことで、電力を大量に消費する電気化学工業が勃興した。
その代表例が、野口遵(のぐちしたがう)が率いた日本窒素肥料株式会社である。同社は空中窒素固定法という最新技術をいち早く導入し、石灰窒素や硫酸アンモニウム(硫安)といった化学肥料の大量生産に成功した。また、ソーダ工業や板ガラス製造(旭硝子など)といったアルカリ工業分野も、大戦景気の波に乗って急速に規模を拡大させた。これらの新興企業群は、後に化学工業を中核とする新興コンツェルン(日窒コンツェルンなど)へと成長していくこととなる。
日本産業構造の転換と歴史的意義
大正期の化学工業の勃発的な発達は、単なる一産業の成長にとどまらず、日本の経済史・産業史において極めて重要な意義を持っている。それまで繊維産業などの軽工業に大きく偏重していた日本の産業構造は、第一次世界大戦による「強制的」な輸入途絶という外圧を契機として、自立的な重化学工業化への第一歩を踏み出したのである。
大戦終結後にヨーロッパ諸国の生産能力が回復すると、日本の化学工業は安価な輸入品の流入による国際競争力の低下や、戦後恐慌の波に苦しむこととなった。しかし、この大戦期に蓄積された技術的基盤と生産設備が失われることはなかった。結果として、昭和初期以降の軍需拡大やさらなる高度経済成長において、大正期に培われた化学工業の基盤が必要不可欠な役割を果たすことになったのである。