ハーディング

1921年、建艦競争の抑制と太平洋地域の新たな秩序形成を目指し、ワシントン会議の開催を提唱したアメリカの大統領は誰か?
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重要度
★★

ハーディング

1865〜1923年

【概説】
第一次世界大戦後の1920年代前半に、アメリカ合衆国第29代大統領を務めた共和党の政治家。日米英などの過酷な軍備拡張競争に歯止めをかけ、アジア・太平洋地域における新たな国際秩序を樹立するため、ワシントン会議を提唱・開催した人物である。

「常態への復帰」とワシントン会議の提唱

第一次世界大戦直後の1920年大統領選挙において、共和党のハーディングは民主党ウィルソン政権の国際主義(国際連盟への参加など)を批判し、「常態への復帰(Return to Normalcy)」をスローガンに掲げて圧勝した。これは、ヨーロッパの紛争に関与しない伝統的な孤立主義への回帰と、国内経済の繁栄を最優先する姿勢を示すものであった。

しかし、当時の東アジア・太平洋地域では、大戦中に勢力を急拡大させた日本と、これに対抗するアメリカとの間で対立が深まっており、日米英による海軍八八艦隊案などの激しい主力艦建艦競争が財政上の大きな負担となっていた。ハーディング政権は、軍事費の削減と東アジアにおける自国の権益確保を同時に達成するため、1921年11月から国際軍縮会議であるワシントン会議を主宰した。

「ワシントン体制」の確立と日本外交への決定的な影響

ハーディングが提唱したワシントン会議では、一連の条約締結により、第一次世界大戦後のアジア・太平洋における新しい国際秩序(ワシントン体制)が構築された。日本は加藤友三郎(海相・全権)らを派遣し、この枠組みを全面的に受け入れることとなった。

具体的には、主力艦の保有比率を制限するワシントン海軍軍縮条約が結ばれ、日米英の比率は「3:5:5」に抑えられた。また、太平洋の現状維持を定めた四カ国条約によって1902年以来の日英同盟が廃棄され、中国の主権尊重と門戸開放を約束した九カ国条約の締結に伴い、石井・ランシング協定の廃棄や山東省権益の中国返還などが進められた。ハーディングの主導した協調外交の枠組みは、その後の日本における幣原喜重郎による「幣原外交(協調外交)」の起点となり、大正期から昭和初期にかけての日本外交の基本路線を決定づけることとなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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