日本共産党(第一次共産党)

1922年、コミンテルンの日本支部として、堺利彦らを指導者として非合法(秘密裏)に結成された政党は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
中国共産党(Wikipedia)

日本共産党(第一次共産党) (にほんきょうさんとう)

1922〜1924年

【概説】
1922年(大正11年)に、コミンテルン(第3インターナショナル)の日本支部として非合法に結成された前衛的な社会主義政党。堺利彦や山川均、荒畑寒村らを中心に組織されたが、政府の激しい弾圧と内部の路線対立により、わずか2年足らずで解散を余儀なくされた。大正デモクラシー期における労働運動・社会運動の急進化を象徴する存在である。

結成の背景とコミンテルンの影響

1917年のロシア革命の成功は、日本の知識人や労働運動家たちに多大な影響を与えた。こうした中、モスクワで結成された国際共産主義運動の指導組織であるコミンテルンは、アジアにおける革命運動の推進を図り、日本での共産党結成を促した。

これに応える形で、1922年7月15日、東京・渋谷の民家に堺利彦山川均、荒畑寒村らが秘密裏に集まり、日本共産党が結成された。当時の治安警察法のもとでは結成が認められない「非合法政党」であり、コミンテルンの日本支部(コミンテルン日本支部・日本共産党)という位置づけであった。結成当初の党員は数十名程度であったが、コミンテルンからの資金援助や理論的指導を受け、急速に組織化が進められた。

二段階革命論と「1922年テーゼ」

第一次共産党の歴史的意義を理解する上で重要なのが、コミンテルンが起草した活動方針である「1922年テーゼ(草案)」である。この方針において、当時の日本は絶対主義的天皇制と半封建的な寄生地主制が支配する国家であると分析された。

ここから、日本の革命はまず天皇制の廃止や地主土地所有の廃止、普通選挙の実施などを目指す「民主主義革命(ブルジョワ民主主義革命)」を達成し、その後に「社会主義革命」へと移行すべきとする二段階革命論が打ち出された。天皇制の打倒(君主制の廃止)を正面から掲げたこの方針は、当時の日本政府にとって最大の脅威であり、治安維持の観点から徹底的な排斥の対象となった。

弾圧による瓦解と解散

政府は、急速に高まる社会主義運動に対して監視を強め、1923年6月に最初の一斉検挙を敢行した(第一次共産党事件)。これにより、堺利彦や佐野学ら多くの主要幹部が逮捕され、党の組織は大きな打撃を受けた。

さらに同年9月の関東大震災直後には、アナーキストの大杉栄らが虐殺された甘粕事件や、労働運動家が殺害された亀戸事件など、社会主義者に対する凄惨な弾圧が吹き荒れた。こうした過酷な弾圧を受け、党内では合法的な大衆活動を重視すべきだとする意見が強まった。理論的指導者であった山川均らが「少数の前衛党による地下運動は時期尚早であり、広範な大衆政党に解消すべきである(山川イズム)」と主張した結果、1924年3月に日本共産党は一旦解散を決定した。しかしその後、コミンテルンの批判を受けて1926年に再建(第二次共産党)されることとなる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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