その妹 (そのいもうと)
1915年
【概説】
大正時代に活躍した小説家・劇作家である武者小路実篤が、1915年(大正4年)に発表した戯曲。失明した画家とその妹をめぐる葛藤や周囲の人間関係を通し、人間の善意や自己の良心に従って生きる美しさを描いた白樺派文学の代表的作品。
白樺派の理想主義と作品の背景
大正期は、日露戦争後の暗鬱な社会状況を背景とした「自然主義」への反発から、個人の個性や自我の自由な伸長を重んじる白樺派の文学が台頭した。1910年(明治43年)に創刊された雑誌『白樺』を中心とするこのグループは、学習院出身の若き貴族子弟が多く、人道主義や理想主義、生命の肯定を強く打ち出した。その中心人物であった武者小路実篤が、自身の思想を戯曲という形で結晶化させたのが本作『その妹』である。本作は、それまでの日本文学に目立った暗い妥協や冷笑的な現実暴露とは一線を画し、人間の内面における良心の不滅と精神の気高さを真っ向から肯定した点で、大正デモクラシー期の青年層に大きな影響を与えた。
自己の良心と人間愛の追究
物語は、不慮の事故により失明した画家・野村広次と、彼を献身的に支える妹・るいを中心に展開する。広次の才能を惜しみ、経済的な援助を申し出る富豪や友人たちの思惑が交錯する中で、登場人物たちはそれぞれの立場から「いかに生きるべきか」という倫理的な問いに直面する。実篤は、肉体的なハンディキャップや社会的な逆境にありながらも、他者への不信に陥ることなく自らの精神的純潔を守り抜こうとする兄妹の姿を描いた。この「自己の内部にある良心を信じ、それに従って生きる」というテーマは、後に実篤が提唱する共同体運動「新しき村」の建設へとつながる、彼の根源的な人間信頼の思想を体現したものといえる。