雑誌『文芸時代』
【概説】
大正末期に横光利一や川端康成らによって創刊された文学同人雑誌。従来の自然主義や写実主義による文学的アプローチを拒否し、主観的かつ直感的な表現を追求する新感覚派の拠点となった。都市化やメディアの発達を背景に、日本におけるモダニズム文学運動の先駆けとして重要な役割を果たした。
創刊の背景と「新感覚派」の誕生
1924(大正13)年10月、菊池寛の経済的・精神的援助を受け、横光利一や川端康成、片岡鉄兵、今東光、中河与一らの若手作家によって『文芸時代』が創刊された。当時の日本の文壇は、大正デモクラシーの自由な空気の中で多様な文学思潮が生まれていたものの、依然として個人の身辺雑記や客観的描写に終始する「自然主義(私小説)」の伝統が根強く残っていた。
『文芸時代』の同人たちはこれに反発し、事物から受ける主観的な感覚や印象を、斬新な文体や比喩表現を用いて直感的に描き出そうとした。彼らのこうした手法は、文芸評論家の千葉亀雄によって「新感覚派」と命名され、新時代の文学運動として大きな注目を集めることとなった。
関東大震災後の都市化と同時代性
『文芸時代』が創刊された前年の1923(大正12)年には、関東大震災が発生している。この未曾有の災害により、帝都・東京は壊滅的な被害を受けたが、その復興の過程でアスファルト舗装、ラジオ放送の開始、地下鉄の開通、円タクの登場といった近代的な「都市空間」が急速に形成された。
このような急速な大衆社会化、機械文明の到来、モダニズム文化の勃興は、知識人や若者たちの感覚を大きく変化させた。『文芸時代』に集った作家たちは、こうした時代の「スピード感」や「非日常的な感覚」を敏感に捉え、映画のカットバックのような技法や、色彩豊かなオノマトペ(擬音・擬態語)、大胆な擬人法を駆使して表現した。横光利一の小説『頭ならびに腹』の冒頭「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で駆け奔けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された。」などは、その代表的な表現様式である。
『文芸時代』の衰退と文学史的意義
『文芸時代』は既存の文壇に大きな衝撃を与えたが、1920年代後半に入ると、昭和恐慌や労働運動の高まりを背景に、マルクス主義に基づき労働者の解放を叫ぶプロレタリア文学(『戦旗』など)が急速に支持を集めるようになった。
この社会的変化に伴い、『文芸時代』の内部でも芸術としての手法を追求する立場と、左翼的政治運動へ接近する立場(片岡鉄兵など)との対立が表面化し、同人たちの足並みは乱れていった。結果として、1927(昭和2)年に『文芸時代』は廃刊へと追い込まれた。
しかし、同誌が切り開いた新感覚派の試みは、のちの昭和文学における表現技法の多様化に決定的な影響を与えた。また、この運動の中心にいた川端康成は、後に日本初のノーベル文学賞を受賞する大作家へと成長を遂げることとなる。