中里介山 (なかざとかいざん)
1885年〜1944年
【概説】
明治から昭和初期にかけて活躍した小説家、思想家。幕末を舞台にした未完の超長編時代小説『大菩薩峠』を執筆し、従来の講談とは一線を画す近代的な「大衆文学(時代小説)」の扉を開いた先駆者。
『大菩薩峠』の誕生と「大衆文学」の確立
中里介山(本名:弥寿治)は、1913年(大正2年)から都新聞などで『大菩薩峠』の連載を開始した。この作品は、介山が亡くなる1941年(昭和16年)まで、複数の新聞や雑誌を渡り歩きながら約30年にわたって書き継がれた全41巻に及ぶ未完の超長編小説である。
それまでの江戸・明治期における歴史読み物は、勧善懲悪を基本とする「講談」や「実録」が主流であった。しかし介山は、虚無にとらわれた盲目の剣士・机竜之助(つくえりゅうのすけ)を主人公に据え、人間の内面の葛藤や社会の矛盾をリアルに描き出した。この『大菩薩峠』の成功は、単なる通俗娯楽にとどまらない、芸術性と近代性を備えた「大衆文学(時代小説)」という新たなジャンルを日本の文壇に確立させる契機となった。
思想的背景と大正デモクラシー期における意義
介山がこのような近代的な小説を生み出せた背景には、彼の受けた先駆的な思想的影響がある。青年期の中里介山は、内村鑑三のキリスト教人道主義に感化され、さらに幸徳秋水や堺利彦らが結成した平民社に接近して社会主義思想にも触れた。日露戦争の際には非戦論を唱えるなど、権力に対する強い反骨精神を終生持ち続けた人物であった。
こうしたキリスト教、社会主義、さらには仏教(禅や浄土思想)が融合した介山独自の求道思想は、作品の底流にある鋭い文明批評として結実した。彼の描く徹底したニヒリズムや「カルマ(業)」の思想は、大正デモクラシー期に急速な近代化と大衆化が進む中で、精神的な危機感を抱いていた当時の読者層に広く、そして深く受容されたのである。