神代史の研究 (しんだいしのけんきゅう)
【概説】
大正期に刊行された、歴史学者・津田左右吉の代表的な著作。記紀(『古事記』『日本書紀』)の「神代(かみよ)」に関する記述が史実ではなく、後世の皇室による統治の正当性を合理化するために構想・創作された政治的言説であることを文献批判の手法を用いて実証した。近代日本における実証主義歴史学の金字塔であると同時に、のちに国家権力による思想弾圧を招く契機となった書物である。
「記紀批判」による神話と歴史の分離
著者である津田左右吉は、それまで事実上の聖典として扱われ、そのまま史実と混同されがちであった『古事記』および『日本書紀』(記紀)の記述に対し、厳格な近代的文献批判(テキスト・クリティシズム)を適用した。津田は神代(神々の時代)の記述を丹念に分析し、そこに現れる矛盾や重複、不自然な構造を摘出していく。その結果、神代の物語は太古からの伝承が自然に集積したものではなく、天皇の日本支配の由来と権威を基礎づけるため、大化の改新から律令国家形成期(7世紀後半〜800年代初頭)にかけての宮廷知識人によって、一定の政治的意図のもとに作為的に構想・統合された「物語(神話)」であると論証した。
この指摘は、それまでの神国思想的な歴史観や、国学に由来する文献解釈の枠組みを根底から揺るがす画期的なものであった。津田は神話を歴史的事実から明確に切り離すことで、客観的かつ実証的な「上代史」の構築を試みたのである。
学術の自由からファシズム期の弾圧(津田事件)へ
本書が刊行された1920年代半ば(大正末期)は、いわゆる大正デモクラシーの思潮のもと、学問の自由や批判的探究が比較的に許容されていた時代であった。そのため、刊行当初は純学術的な研究書として受け止められていた。しかし、1930年代に入り日本が軍国主義化・ファシズム化していくと、国家神道を精神的支柱とする超国家主義派や右翼勢力から、「皇室の尊厳を冒涜し、国体を危うくするもの」として猛烈な非難を浴びるようになる。
昭和恐慌や日中戦争の勃発を経て思想統制が極限に達した1940年(昭和15年)、本書を含む津田の著作4冊(『神代史の研究』『古事記及び日本書紀の研究』『日本上代史の研究』『上代日本の社会及び思想』)はついに発禁処分(安寧秩序を乱すもの)となった。さらに津田自身と版元の岩波茂雄が出版法違反(皇室の尊厳冒涜)で起訴される事態へと発展した(津田左右吉事件)。一審で有罪判決を受けた津田は早稲田大学教授を辞職せざるを得なくなり、この事件は近代日本における学問の自由と表現の自由が弾圧された象徴的な事例として歴史に刻まれることとなった。