民俗学

柳田国男が創始した、文字の記録に残らない庶民(常民)の伝説や生活習慣、信仰などを研究して日本の基層文化を解明する学問は何か?
カテゴリ:
重要度
★★★

民俗学

【概説】
名もない庶民(常民)の生活用具や伝承、信仰などを研究し、日本の固有の文化や基層的な歴史を明らかにしようとする学問。明治末期から大正時代にかけて柳田国男らによって創始・体系化され、正史や文献史料には残らない民衆の生活実態に光を当てた。

日本民俗学の創始と柳田国男

日本の民俗学は、明治末期から大正時代にかけて、柳田国男を中心に形成された。柳田は農商務省の官僚として地方を巡るなかで、山村や農村に残る民間伝承や習俗に深い関心を抱くようになった。1910年(明治43年)に岩手県遠野地方の伝承をまとめた『遠野物語』を発表し、1913年(大正2年)には神話学者の高木敏雄とともに雑誌『郷土研究』を創刊した。これが日本における民俗学の実質的な出発点とされている。その後、国文学者であり独自の古代研究を行った折口信夫や、在野の博物学者である南方熊楠らとの交流・論争を通じて、学問としての独自の基盤が築かれていった。

「常民」の発見と新たな歴史へのアプローチ

民俗学の最大の特徴は、文字による記録を残さなかった名もない庶民を「常民(じょうみん)」と定義し、その生活文化を研究対象としたことである。旧来の歴史学(文献史学)は、主に貴族や武士などが残した公文書や日記などの文字史料に依存していたため、歴史の表舞台に登場しない大多数の民衆の姿を捉えることが困難であった。これに対し民俗学は、口承文芸(昔話や伝説)、民間信仰、年中行事、通過儀礼などを全国的なフィールドワークによって収集・比較し、日本人の精神構造や基層文化を浮き彫りにしようと試みた。また、実業家の渋沢敬三(アチック・ミューゼアムの創設者)らの多大な貢献により、農具や漁具などの生活用具(民具)に注目する物質文化の研究も並行して進められた。

近代化への危機感と同時代の思想的背景

民俗学が大正時代に勃興した背景には、日本の急速な近代化と資本主義の発展に対する強い危機感があった。明治維新以降、産業革命の進展や都市化によって、地方の伝統的な農村共同体や生活様式は急激に解体されつつあった。柳田国男の根底には、失われゆく「古き良き日本」の姿を記録にとどめるとともに、近代化の波に飲み込まれていく農民の貧困や苦難、すなわち「経世済民」の課題に向き合おうとする問題意識が存在した。大正時代は都市中間層が拡大し、大正デモクラシーや教養主義が花開いた時期であるが、その一方で急激な変化への反動として、地方の「郷土」に対するノスタルジーや再評価の機運(郷土教育運動など)が高まっており、これが民俗学への社会的関心を後押ししたのである。

歴史学への影響と戦後の展開

昭和初期に入ると、1935年(昭和10年)に「民間伝承の会」(後の日本民俗学会)が設立されるなど、民俗学は独立した学問分野として体系化されていった。民俗学が提示した「常民」の視点は、政治史や制度史に偏重しがちだった当時の歴史学に大きな刺激を与え、後年の社会史や民衆史、さらには人々の意識の奥底を探る心性史(アナール学派など)の研究にも通じる先駆的な意義を持っていた。戦後においては、宮本常一らが全国を歩き、被差別民や漂泊民、離島の人々など、柳田が想定した稲作農民を中心とする均質な「常民」の枠組みからこぼれ落ちる多様な民衆の姿を明らかにし、日本民俗学はさらなる深まりと広がりを見せていくこととなる。

日本の民俗学 (中公文庫 や 68-1)

日本人の暮らしの中に息づく無意識の営みを、先人の知恵と歴史の視点から紐解き、学問としての体系を学ぶ入門の書。

民俗学の可能性をひろげる (福田アジオ自選民俗学論集Ⅰ)

地域社会の変容や人々の生活文化を見つめ直し、現代に生きる我々が未来を構想するための民俗学の可能性を問う論考集。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 日本の古墳時代を象徴する、円形と方形の墳丘を組み合わせた鍵穴のような形の古墳を何というか?
Q. 明治後期の産業革命下において、貧困に苦しむ労働者の実態を調査し、『日本之下層社会』を著したジャーナリストは誰か?
Q. 土佐派から分かれ、幕府の御用絵師となって大和絵を描く住吉派を創始した人物は誰か。