長春・旅順間

ポーツマス条約において、日本がロシアから権益を譲り受けた鉄道の区間は、「どこからどこの間」の鉄道か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
南満洲鉄道(Wikipedia)

長春・旅順間 (ちょうしゅん・りょじゅんかん)

1905年

【概説】
日露戦争の講和条約であるポーツマス条約において、ロシアから日本に譲渡された東清鉄道南満州支線の一部区間。この鉄道利権の獲得は、のちの「南満州鉄道株式会社(満鉄)」設立の基礎となり、日本による満州(中国東北部)への本格的な進出と植民地化の足がかりとなった。

ポーツマス条約と「長春・旅順間」の割譲

1905年、日露戦争の講和交渉において、日本全権の小村寿太郎とロシア全権のウィッテの間でポーツマス条約が締結された。戦争によって財政が枯渇していた日本は、ロシアから賠償金(償金)を獲得することを強く望んでいたが、ロシア側の頑強な拒否により断念せざるを得なかった。その代償として日本が獲得した重要な実質的権益の一つが、ロシアが敷設した東清鉄道の南満州支線である長春・旅順間(現在の京哈線・瀋大線の一部に相当)の鉄道利権、およびそれに付随する炭鉱や財産の割譲であった。なお、この譲渡にあたっては清朝の主権が絡むため、同年の満州に関する日清条約(北京条約)によって、清朝から正式に日本への利権譲渡の承認を取り付けることとなった。

南満州鉄道の誕生と満州進出の拠点化

獲得した長春・旅順間の鉄道およびその沿線(鉄道附属地)を経営するため、日本政府は1906年に国策会社である南満州鉄道株式会社(満鉄)を設立した。初代総裁には台湾総督府民政長官などを歴任した後藤新平が就任し、植民地経営の指揮を執った。満鉄は単なる鉄道運行会社にとどまらず、沿線の撫順炭鉱の開発や製鉄業などの産業振興、さらには近代都市の建設、学校・病院の運営といった行政・多角経営を行う「国家の中の国家」とも言える巨大コンツェルンへと成長した。また、この鉄道および沿線防衛のために配備された独立守備隊は、のちの関東軍の母体となり、日本の軍事的な満州支配の拠点としての役割も担うこととなった。

国際関係の変容と日米対立の端緒

長春・旅順間の鉄道権益の独占は、日露戦争を支援した欧米諸国、とりわけアメリカとの協調関係に亀裂を生じさせる要因となった。アメリカの鉄道王ハリマンは、満鉄の共同経営を日本政府に持ちかけ、一時は桂太郎首相らがこれに応じる動きを見せた。しかし、ポーツマス条約から帰国した外相・小村寿太郎が強硬に反対したため、日本はハリマンの提案を拒絶した。アメリカは、日本が「門戸開放・機会均等」の原則に反して満州の利権を独占したと批判を強め、これ以降、日米関係は協調から対立へと大きく舵を切ることとなった。このように長春・旅順間の鉄道は、その後の昭和期にわたる日中対立、ひいては日米対立の遠因となった極めて象徴的な地政学的境界線であった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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