資本主義恐慌
【概説】
資本主義の構造的特質である自由競争に伴う、過剰生産を原因として周期的に発生する経済恐慌。日本では明治時代の産業革命期に初めて経験し、以後、約10年周期で発生して日本経済の構造転換を促す契機となった。
資本主義の発展と恐慌の発生メカニズム
資本主義経済においては、個々の企業が市場における利潤を最大化するために自由競争を行い、独自の判断で生産規模を拡大させる。しかし、無計画な生産拡大の一方で、労働者の賃金や購買力(有効需要)の伸びがそれに追いつかなくなると、市場には売れ残った商品が溢れる生産過剰の状態に陥る。これが資本主義恐慌の根本的な原因である。
生産過剰に陥ると、商品の価格は暴落し、企業の倒産や操業短縮、それに伴う失業者の増大が急激に進行する。この混乱によって購買力はさらに低下し、不況が深刻化していく。この現象は一過性のものではなく、景気の「好況・後退・不況・回復」という循環プロセス(景気循環)の一局面として、およそ10年前後の周期で繰り返し発生するという特徴を持っていた。
明治期日本における恐慌の展開と歴史的意義
日本における最初の本格的な資本主義恐慌は、日本の産業革命が本格的に始動した1890(明治23)年に発生した。1880年代半ばの松方デフレ収束後、日本国内では繊維業や鉄道業を中心に空前の起業ブーム(企業勃興)が起きた。しかし、急速な投資拡大は国内の資金不足を招き、さらに銀価下落に伴う貿易摩擦なども重なって、株式市場の暴落と金融引き締め(金詰まり)による恐慌へと発展した。この際、政府と日本銀行は共同で救済融資(日本銀行特融)を行い、国家が介入することで危機を乗り切るという、日本独特の資本主義の特質が早くも現れている。
その後、日清戦争後の1897(明治30)年恐慌、日露戦争後の1907(明治40)年恐慌と、日本経済は国際市場との連動性を強めながら周期的に恐慌を経験した。これらの恐慌は、経営基盤の弱い中小企業を淘汰し、三井・三菱・住友・安田といった巨大な財閥への資本集中を促した。結果として、日本資本主義は恐慌を契機としながら、独占資本主義へと急速に高度化を遂げることとなったのである。