井上円了 (いのうええんりょう)
【概説】
明治時代に活躍した仏教哲学者、教育家。西洋哲学の手法を用いて仏教の近代化を図るとともに、私立の「哲学館(現・東洋大学)」を創設して社会教育の普及に貢献した。また、近代合理主義の観点から迷信を打破しようと「妖怪学」を提唱したことでも知られる。
哲学館の創設と「諸学の基礎は哲学にあり」
井上円了は越後国(現在の新潟県)の真宗大谷派の寺院に生まれ、京都での修学を経て東京帝国大学文学部哲学科に入学した。彼は同学科を卒業した最初の世代の一人であり、西洋哲学を本格的に修めた草分け的存在であった。卒業後の1887(明治20)年、円了は「哲学館」を創設する。これは、当時の官立学校を中心としたエリート教育に対抗し、広く庶民に門戸を開いた私立の学塾であった。円了は「諸学の基礎は哲学にあり」と唱え、専門知識に偏らない、物事の本質を論理的・体系的に考える思考力(=哲学)を養うことこそが、近代日本の発展に不可欠であると確信していた。この哲学館は、のちに現在の東洋大学へと発展することになる。
仏教の近代化とナショナリズムの台頭
円了が生きた明治初期は、政府の神仏分離令に端を発する廃仏毀釈によって仏教界が激しい打撃を受け、さらにキリスト教をはじめとする西洋思想が急速に流入していた時代であった。こうした危機感の中で、円了は西洋哲学の論理を用いて仏教の教義を再解釈し、仏教が決して非科学的な迷信ではなく、近代科学や哲学とも調和しうる高度な真理であると主張した。彼は『仏教活論序論』などを著し、仏教を近代国家の精神的支柱として位置づけようとした。これは単なる宗教擁護にとどまらず、政教社などの活動を通じた国粋主義(対外硬)やナショナリズムの潮流とも連動しており、日本の主体性を保ちながら近代化を進めるための思想的試みであった。
「妖怪学」の提唱と近代化における役割
円了のもう一つの大きな功績が、「妖怪学」の創始である。当時、文明開化が進む一方で、地方や庶民の間には依然として狐憑きやこっくりさん、不吉な予兆といった迷信が根強く残っていた。円了はこれらを放置することは国民の合理的精神の獲得を妨げると考え、全国を行脚して怪異現象の情報を収集・分析した。彼は妖怪を、自然現象の誤解による「仮怪」や、心理的な錯覚による「誤怪」などに分類し、科学的かつ心理学的にその正体を解明していった。この迷信打破の試みは、当時の明治政府が進めていた近代的な国民国家の形成(衛生思想の普及や教育の普及)とも合致するものであり、日本社会の近代化を底辺から支える教育的啓蒙活動としてきわめて重要な意味を持っていた。