大日本史料 (だいにほんしりょう)
【概説】
東京大学史料編纂所が明治時代から継続して編纂・刊行している、日本最大規模の編年体史料集。宇多天皇の即位(887年)から江戸幕府の滅亡(1867年)に至るまでの歴史的史料を年代順に収録している。客観的な一次史料を網羅した、日本史研究において最も基礎的かつ重要視される学術文献の一つである。
国家による正史編纂の挫折と実証主義への転換
明治新政府は発足直後から、天皇を中心とする新国家の正当性を示すため、国家による歴史書(正史)の編纂事業を開始した。しかし、政府内の修史機関(修史局や修史館など)において、編纂方針をめぐる国学者・漢学者と実証主義史学者との対立が激化。さらに、南北朝時代のどちらを正統とするかという政治的対立(南北朝正閏問題)なども絡み、政府主導による一貫した叙述歴史書の作成は困難を極めた。
こうした状況下、1895(明治28)年に修史事業は東京帝国大学へと移管され、のちの史料編纂掛(現在の東京大学史料編纂所)が設立されることとなる。ここで重野安繹らの実証主義史学に基づき、「主観の入る余地がある歴史書の執筆」ではなく、「客観的な一次史料をそのまま整理して提供する」という方針へと大きく転換され、1901(明治34)年から『大日本史料』の刊行が開始された。
編年体による徹底した史料提示とその構造
『大日本史料』は、古代末期の宇多天皇即位(887年)から、幕末の慶応3年(1867年)にいたる約1000年間を対象とし、全体を12の「編」(時代区分)に分けて並行して編纂されている。その叙述スタイルは極めて客観的であり、年月日ごとに歴史的事実の要約である「綱文(こうもん)」を掲げ、その直後にその事実の根拠となった公家の日記、武家の古文書、記録といった一次史料を原文のまま網羅的に引用・掲載する形式(編年体)をとる。
この編纂方針により、研究者は一つの歴史的事象に対して、多様な立場から書かれた同時代の複数の史料を比較検証することが可能となった。膨大な未刊史料を活字化して学界に提供した功績は計り知れず、近代的な日本史学の科学的発展を支える土台となった。
現在も続く超長期プロジェクトとしての意義
『大日本史料』は刊行開始から120年以上が経過した現在も、東京大学史料編纂所によって編纂・刊行が続けられている。収録される史料の精査や解読には高度な専門知識と膨大な時間を要するため、未だに全巻の完結には至っておらず、日本史学界における最大の長期継続プロジェクトとして位置づけられている。今日ではデータベース化によるデジタル公開も進められており、国内外の日本史研究を支える不可欠なインフラとして機能している。