河竹黙阿弥 (かわたけもくあみ)
【概説】
幕末から明治時代前期にかけて活躍した日本を代表する歌舞伎の狂言作者。幕末期に盗賊を主人公とする「白浪物」を大成し、明治維新後は新世相を取り入れた「散切物」などを次々と創作して近代歌舞伎の基礎を築いた。
狂言作者への道と小団次との提携
1816年(文化13年)、江戸日本橋の裕福な商家に生まれる。若い頃から茶屋遊びなどの放蕩生活を送り、実家から勘当された後に狂言作者である五代目鶴屋南北の流れを汲む門下生となった。当初は立作者(首席の作者)になるまで長きにわたる下積み時代を経験している。
安政年間に名優・四代目市川小団次に見出されたことで転機を迎える。二代目河竹新七を名乗り、小団次と提携して次々と名作を世に送り出し、江戸歌舞伎界における不動の地位を確立していった。
「白浪物」の大成と七五調の美文
幕末の動乱期において、彼は盗賊やならず者を主人公とした世話物(町人の生活を描いた劇)である白浪物(しらなみもの)というジャンルを大成した。代表作には『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』や『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなの錦絵)』(通称:白浪五人男)などがある。
幕府の権威が失墜し、社会秩序が揺らぐ幕末の退廃的な情勢を背景に、アウトローたちの哀愁や意地、因果応報のドラマを描き出し、当時の大衆から絶大な支持を得た。また、その台詞回しには「厄払い」と呼ばれる流麗な七五調が多用され、清元などの下座音楽と見事に調和する音楽的かつ抒情的な美しさを最大の特長とした。
明治維新と歌舞伎の近代化
明治維新を迎え、文明開化によって社会の価値観が急激に西洋化するなか、彼もまた時代の変化に柔軟に対応した。洋服やランプ、人力車、新聞といった新風俗をいち早く舞台に取り入れた散切物(ざんぎりもの)を執筆し、新しい時代の世相を生き生きと描き出した。
また、明治政府の主導で演劇改良運動が起こるなか、九代目市川団十郎や五代目尾上菊五郎といった明治を代表する名優(団菊左時代)と提携した。荒唐無稽な演出を排して歴史的事実に忠実であろうとする活歴物(かつれきもの)や、高尚な能・狂言の様式を歌舞伎に移植した松羽目物(まつばめもの)など、新時代の知識人にも受け入れられる新たな形式を次々と開拓していった。
江戸歌舞伎の集大成としての歴史的意義
1881年(明治14年)、引退を表明して「黙阿弥」と名乗るようになったが、演劇界からの強い要望により、その後も事実上の座付作者として筆を執り続けた。生涯に執筆した作品数は300編を超え、現在上演されている古典歌舞伎の演目の多くが彼の手によるものである。
河竹黙阿弥は「江戸歌舞伎の最後の集大成者」であると同時に、「明治・近代歌舞伎の開拓者」でもある。彼の残した膨大な作品群は、近世から近代への激動の移行期において、江戸時代の大衆娯楽であった歌舞伎が衰退することなく、日本を代表する伝統芸能・古典芸能として現代に受け継がれるための決定的な土台を築いたという点で、日本演劇史において極めて重要な歴史的意義を持っている。