兵役・納税の義務
【概説】
大日本帝国憲法(明治憲法)において、日本臣民(国民)が負うべきものとして明記された2つの絶対的な義務。
富国強兵を国是とする近代国家建設の根幹として法制化された一方で、現在の日本国憲法にみられる「教育の義務」は憲法上には規定されていなかった。
近代国家における「臣民の義務」の法制化
1889年(明治22年)に発布された大日本帝国憲法の第2章は「臣民権利義務」と題され、日本国民(当時の呼称は臣民)の国家に対する法的な立場が規定された。その中で、国家に対する絶対的な義務として明記されたのが、第20条の「兵役ノ義務」と第21条の「納税ノ義務」である。同憲法下における言論や集会などの自由権が「法律ノ範囲内ニ於テ」という留保付きの権利であったのに対し、これら2つの義務は近代国家の存立基盤として国民に等しく課される重い責任と位置づけられていた。
富国強兵の根幹としての「兵役の義務」
兵役の義務の歴史的起源は、憲法発布に先立つ1873年(明治6年)に公布された徴兵令に遡る。「血税」とも呼ばれた初期の徴兵制度は、免役規定が多く士族層や農民層から強い反発(血税一揆)を招いたが、その後の度重なる改正を経て、大日本帝国憲法第20条によって最高法規上で国民皆兵の原則が最終的に確定した。これにより、すべての成年男子は天皇の統率する軍隊(皇軍)に奉仕することが法的に義務づけられ、明治政府が掲げた「富国強兵」政策の「強兵」を支える最も重要な人的基盤となった。
近代財政の確立と「納税の義務」
大日本帝国憲法第21条に規定された納税の義務もまた、近代日本の根幹をなすものであった。明治政府は1873年(明治6年)の地租改正により、土地の価格(地価)を基準とした一定税率の金納制度を導入し、安定した財源の確保に成功した。憲法における納税の義務化は、この近代的な徴税システムを立憲体制のもとに組み込むものであった。
同時に、納税は単なる国家への奉仕に留まらず、初期の議会政治においては参政権を獲得するための条件として機能した。1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙では、選挙権は「直接国税15年以上を納める満25歳以上の男子」に限定されており、納税の義務を一定水準以上で果たした者のみが国政に参加できるという制限選挙の原則が採られていた。このように、納税の義務は議会における政治参加の権利(選挙権)と表裏一体の関係にあった点も、同時代の政治状況を理解するうえで極めて重要である。
「教育の義務」との対比と現代へのつながり
現代の日本国憲法下では「勤労・納税・教育(を受けさせること)」が国民の三大義務とされるが、大日本帝国憲法においては教育の義務は規定されていなかったという事実は、歴史学習において頻出の重要ポイントである。当時の教育体制は憲法の条文ではなく、1890年(明治23年)発布の教育勅語や小学校令などの各種勅令によって整備・推進されていた。
大日本帝国憲法において規定された義務が「兵役」と「納税」の2つのみであったことは、当時の国家が国民に対して何を最も優先して求めていたか(軍事力の提供と国家財政の負担)を如実に物語っている。その後、第二次世界大戦の敗戦に伴う日本国憲法の制定によって兵役の義務は消滅し、主権在民の原則のもとで新たな三大義務へと転換することとなる。