商法
【概説】
明治政府が近代法典編纂の一環として、お雇い外国人ロエスレルの起草をもとに1890年に公布した、商取引に関する法典。しかし、日本の経済実態や在来の商習慣との乖離が激しかったこと、また「民法典論争」の影響を受けたことから激しい反対運動が起こり、一部を除いて施行が延期された。のちに大幅な修正を経て1899年に新たな「商法」として施行されるにいたった。
条約改正に向けた近代法典の編纂とロエスレルの起草
明治政府にとって、幕末に結ばれた不平等条約の改正、なかでも領事裁判権の撤廃は最大の外交課題であった。欧米列強から主権国家・文明国として認められるためには、西欧基準の近代的な法典(憲法、民法、刑法、商法など)の早急な整備が不可欠とされた。こうした背景のもと、大日本帝国憲法の制定にも深く関わったドイツ(プロイセン)の法学者であるお雇い外国人ヘルマン・ロエスレルが商法の起草を担当することとなった。ロエスレルはドイツ商法をモデルに草案を作成し、1890(明治23)年に「商法(いわゆる旧商法)」として公布された。
「商法論争」の勃発と施行延期への展開
しかし、公布された商法は実務界や法学者から強い批判を浴びることとなった。とりわけ、ボアソナードが起草した民法をめぐる「民法典論争(民法出訴論争)」と連動する形で、商法の施行をめぐっても「延期派」と「断行派」による激しい対立(商法論争)へと発展した。英米法系の学者や、渋沢栄一をはじめとする東京商工会議所などの経済界は、ロエスレルの商法が日本の伝統的な商習慣を無視しており、実際の取引に大混乱を招くとして猛烈な反対運動を展開した。この結果、民法と同様に1892(明治25)年の帝国議会において施行延期が決定され、破産編などの一部の規定を除いて、実際に施行されることはなかった。
修正商法の成立と日本資本主義への影響
施行延期の決定後、新たに組織された法典調査会において、梅謙次郎や岡野敬次郎らを中心に全面的に改訂作業が進められた。この修正作業では、ドイツ法の体系を維持しつつも、日本の実質的な商習慣を十分に加味し、さらに当時急速に発展しつつあった株式会社などの企業制度の実態に即した内容へと改められた。こうして、1899(明治32)年に新たな商法(新商法)が制定・施行された。これにより、我が国の近代的な企業活動や金融・流通取引を支える法的な基盤が確立され、産業革命期における日本資本主義の発展を制度面から支えることとなった。