治安警察法第17条(撤廃) (ちあんけいさつほうだいじゅうななじょう)
【概説】
1900年に制定された治安警察法において、労働者の団結権や同盟罷業(ストライキ)の誘惑・扇動を厳しく制限した法条。資本主義の発達に伴い活性化した初期労働運動を国家権力によって事実上圧迫し、労働組合の合法的な結成や活動を困難にした。その後、大正デモクラシー期の労働運動の高揚や国際的な批判を背景に、1926年に撤廃された。
治安警察法第17条の制定と労働運動の抑制
日清戦争の前後、日本における産業革命の進展とともに資本主義が急速に発達した。これに伴い労働問題が顕在化し、高野房太郎や片山潜らによって労働組合期成会が結成されるなど、労働運動や社会主義運動が本格的な高まりを見せ始めた。これに対し、当時の第2次山県有朋内閣は社会秩序の維持を名目に、1900(明治33)年に治安警察法を制定した。
同法の中でも、特に労働運動に壊滅的な打撃を与えたのが第17条である。この条文は、労働条件の改善などを目的とした「同盟罷業(ストライキ)」の実行や、そのために他者を「誘惑」・「煽動」することを犯罪として厳しく取り締まった。労働者が団結して労働組合を組織すること自体がこの「誘惑・煽動」に触れると解釈されたため、同条は労働運動を合法的に進める上での最大の障壁となり、労働組合の結成や活動は事実上不可能となった。
大正デモクラシーと第17条撤廃の歴史的意義
大正期に入ると、第一次世界大戦後のインフレや1918年の米騒動を契機に、労働者の権利意識が急速に高まった。鈴木文治らが結成した友愛会(のちの日本労働総同盟)を中心に、第17条の撤廃を求める運動(17条撤廃運動)が全国で激化した。さらに、第1次世界大戦後に設立された国際労働機関(ILO)から、日本の労働運動に対する抑圧的姿勢が国際的な非難を浴びるようになったことも、政府に強い圧力を与えた。
こうした大正デモクラシー期の国内外における民主主義の機運の高まりを受け、加藤高明護憲三派内閣などの下で労働法制の再検討が行われ、1926(大正15)年に治安警察法第17条はついに撤廃された。これにより、労働運動は形式的な法的規制を一つ脱することとなった。しかし、その前年の1925年には社会主義運動を取り締まる治安維持法が制定されており、政府は労働運動の急進化や共産主義化に対しては引き続き厳しい弾圧の姿勢を維持していた。