冊封(冊封体制)

重要度
★★★

冊封(冊封体制) (さくほう(さくほうたいせい)

【概説】
中国の皇帝が、朝貢してきた周辺国家の君主に「王」などの称号(爵位)を与え、形式的な君臣関係を結ぶこと。この関係を基盤として形成された東アジア特有の国際秩序を冊封体制と呼び、日本の歴代権力者も国内の権威付けや外交的実利のためにこれを利用した。

中華思想と冊封体制の仕組み

冊封(さくほう)とは、もともと中国の国内制度において、皇帝が皇族や功臣に領地と爵位を与えて諸侯とする制度に由来する。これが周辺の異民族や国家の君主にも適用されるようになった。その背景には、中国の皇帝が「天の命を受けて世界の中心(中華)を治め、その徳は周辺の野蛮な民(夷狄)にも及ぶ」とする中華思想(華夷思想)が存在する。

周辺国の君主は、中国皇帝に特産物などを献上する(朝貢)代わりに、皇帝から莫大な返礼品(回賜)を与えられ、同時に「国王」などの称号を授けられた。これにより両者の間に形式的な君臣関係が成立する。周辺国の君主にとって、中国の圧倒的な軍事力や高度な文化を背景とする「皇帝のお墨付き」を得ることは、自国内や近隣諸国に対して自己の権力を正当化し、優位性を誇示するための強力な政治的手段であった。

弥生時代の日本と冊封関係

日本列島の国家が初めて冊封体制に組み込まれたのは弥生時代のことである。1世紀半ばの建武中元2年(57年)、北部九州にあったとされる奴国(なこく)の王が、後漢の都である洛陽に遣使して光武帝から印綬を授けられた。江戸時代に志賀島で発見された「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印がそれを示す証拠とされている。

さらに3世紀前半には、邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に遣使し、景初3年(239年)に「親魏倭王」の称号と金印紫綬、多数の銅鏡などを与えられた。当時の日本列島は小国が乱立し、争いが絶えない「倭国大乱」の時代を経ていた。卑弥呼は、強大な魏の後盾を得ることで国内の反抗勢力を抑え込み、王権の安定を図ったのである。このように、初期の日本の権力者は、中国の権威を利用して国内統合を進めるという戦略をとっていた。

「倭の五王」と朝鮮半島をめぐる外交

古墳時代の中期にあたる5世紀には、「倭の五王」(讃・珍・済・興・武)と呼ばれるヤマト王権の君主たちが、南朝の宋などに相次いで遣使を行った。彼らは単に朝貢して王号を受けるだけでなく、「安東大将軍」や「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」といった、軍事的な称号や朝鮮半島南部における支配権の承認を執拗に求めた。

この時期、朝鮮半島では高句麗が南下政策をとっており、百済や新羅との緊張が高まっていた。ヤマト王権は、半島における鉄資源の確保や外交的優位を保つため、中国皇帝から将軍号を獲得して高句麗に対抗しようとしたのである。ここでも冊封は、東アジアの国際的なパワーバランスの中で自国の国益を最大化するための極めて実利的な外交手段であった。

冊封からの離脱と対等な外交関係の模索

しかし、飛鳥時代に入ると、日本の外交姿勢は大きな転換を迎える。7世紀初頭の推古天皇の時代、聖徳太子(厩戸王)が派遣した遣隋使の小野妹子は、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という国書を持参した。これは、中国の皇帝に対して自国の君主を同格の「天子」と位置づけ、冊封関係(君臣関係)を明確に拒否するものであった。

続く遣唐使の時代においても、日本は唐の先進的な制度(律令制)や文化を積極的に吸収しようと朝貢に類する遣使は続けたものの、決して臣下として王号を受けることはなかった。大宝律令の制定によって「天皇」号や「日本」という国号を確立した日本は、自らを「小帝国」として位置づけ、新羅や渤海を蕃国(従属国)とみなす独自の「小中華思想」を形成していくこととなる。

中世における冊封体制への復帰と終焉

古代において冊封体制から離脱した日本であったが、中世の室町時代に一時的な復帰を果たす。15世紀初頭、室町幕府の第3代将軍・足利義満は、明の皇帝から「日本国王」に冊封された。義満は、明との間で正式な国交を開き、勘合貿易(日明貿易)を行うために、あえて中国の臣下となる道を選んだのである。この貿易は幕府に莫大な経済的利益をもたらした。

しかし、この屈辱的ともとれる外交関係は国内で反発を招き、次代の足利義持の代で一時中断されるなど、安定した関係として定着することはなかった。その後、近世に入ると豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)や、江戸幕府の鎖国(海禁)政策によって、日本と中国王朝との公式な国交は断絶した。東アジアの国際秩序としての冊封体制自体も、19世紀の欧米列強のアジア進出と近代国際法の波に飲み込まれ、日清戦争での清の敗北とともに完全に崩壊することになったのである。

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