市川団十郎(初代) (いちかわだんじゅうろう)
【概説】
江戸時代前期から中期(元禄期)にかけて活躍した江戸の歌舞伎役者。勇猛で超人的な英雄が活躍する「荒事」という演技様式を創始し、血気盛んな江戸っ子の熱狂的な支持を集めた。上方歌舞伎の坂田藤十郎と並び称され、江戸歌舞伎の基礎を築いた演劇史上の最重要人物の一人である。
荒事の創始と江戸歌舞伎の確立
初代市川団十郎は、14歳の初舞台で坂田金時を演じた際、顔に紅と墨で筋隈(すじぐま)を引き、勇壮な演技を披露した。これがのちの荒事(あらごと)の原点である。荒事とは、超人的な力を持つ英雄や荒武者が、悪を打ち倒すという豪快で力強い演技様式である。団十郎は、古浄瑠璃の一種である金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)の武勇伝や、修験道の呪術的な所作を取り入れ、誇張された衣装や見得(みえ)、隈取(くまどり)を用いた独自の演出を完成させた。彼の演じる荒武者や武神の姿は、気性の荒い江戸の武士や町人たちの気風に合致し、絶大な人気を博すこととなった。
元禄文化と上方歌舞伎との対比
団十郎が活躍した17世紀後半から18世紀初頭は、町人を中心とする元禄文化が花開いた時代にあたる。この時期の歌舞伎は、それまでの単なる舞踊中心から、複雑な筋書きを持つ本格的な演劇(野郎歌舞伎)へと発展を遂げていた。同時代の京都・大坂(上方)では、坂田藤十郎が優美で写実的な恋愛劇である和事(わごと)を大成させ、芳沢あやめの女方とともに上方歌舞伎の黄金時代を築いていた。これに対し、団十郎の荒事は、武骨で力強い「江戸」という新興都市の独自性を象徴するものであり、上方と江戸の文化的な対比を明確に示す歴史的指標となっている。また、団十郎は自ら「三升屋兵庫(みますやひょうご)」の名で脚本も執筆しており、単なる演者にとどまらない総合的な演劇人でもあった。
劇的な最期と市川宗家の成立
江戸中を熱狂させた団十郎であったが、その最期は予期せぬ悲劇であった。1704年(元禄17年)、市村座での公演中、舞台上で同僚の役者である生島半六(いくしまはんろく)によって刺殺されたのである。動機は個人的な怨恨とされるが、この前代未聞の暗殺事件は江戸の社会に大きな動揺を与えた。しかし、彼が創始した荒事の芸風と「市川団十郎」という大名跡は、息子の二代目団十郎をはじめとする後継者たちに強固に受け継がれた。江戸歌舞伎の権威たる「市川宗家」は現代に至るまで歌舞伎界の頂点に君臨しており、初代団十郎が演じた演目の数々はのちに「歌舞伎十八番」としてまとめられ、日本の伝統芸能に不滅の足跡を残している。