見返り美人図 (みかえりびじんず)
【概説】
江戸時代前期に活躍した「浮世絵の祖」菱川師宣による代表的な肉筆浮世絵。歩みを進める途中でふと振り返る女性の姿を通して、当時の最新の風俗や美しい着物の曲線を艶やかに描いた日本美術史上の傑作である。
菱川師宣と「肉筆浮世絵」の確立
江戸時代前期の17世紀後半、それまで書物の挿絵にすぎなかった版画を、独立した一枚の鑑賞用絵画として確立したのが「浮世絵の祖」と称される菱川師宣である。師宣は木版画を多数制作する一方で、絵師が絹や紙に直接絵の具で描く肉筆浮世絵の名手でもあった。「見返り美人図」は木版画ではなく、絹のカンヴァスに鮮やかな色彩で精緻に描かれた肉筆画の最高傑作であり、浮世絵という新たな芸術ジャンルが江戸の町人文化の中で成熟していく過程を示す金字塔である。
描かれた江戸の最先端ファッション
本作品の歴史的意義は、描かれた女性の姿から当時の最先端のファッションや流行を読み取ることができる点にある。女性が身にまとっているのは、鮮やかな紅色の地に桜と菊をあしらった「花の丸」模様の小袖である。また、帯の結び方は当時の上方歌舞伎の人気女形・上村吉弥が考案して江戸中の女性の間で大流行していた吉弥結び(きちやむすび)を取り入れており、髪型も当時の町娘の最新スタイルである「玉結び」に結われている。このように、本図は単なる美術作品にとどまらず、17世紀後半から元禄期にかけての江戸の服飾史・風俗史を現代に伝える一級の歴史史料としての価値を有している。
計算し尽くされた構図と曲線美
構図の面においても本図は極めて秀逸である。師宣はあえて背景の描写を一切省き、無地の空間に人物だけを孤立させることで、鑑賞者の視線を女性の姿そのものへと集中させている。右前方へと歩みを進めながら、ふと何かに気をとられたかのように後方へ顔を向ける一瞬の動きが見事に捉えられており、女性の身体から着物の裾へと流れるようにつながる「S字カーブ」の曲線美が、静止画でありながら艶やかな躍動感を生み出している。この「振り返る」という劇的な瞬間を切り取る構図は、後の浮世絵美人画に多大な影響を与えた。
後世への影響と大衆的認知
現在、東京国立博物館に所蔵されている本図は、日本国内にとどまらず世界的にも浮世絵の代名詞として高く評価されている。日本においてこの作品の知名度を大衆レベルまで押し上げたのは、1948(昭和23)年に発行された「切手趣味週間」の記念切手の図案として採用されたことである。この切手は戦後の切手収集ブームの中で圧倒的な人気を博し、プレミアム価格で取引される幻の切手となった。これによって「見返り美人」という言葉は美術愛好家の枠を超え、広く一般に知れ渡ることとなった。