親政
【概説】
天皇や将軍などの君主が、摂政・関白や老中などの臣下に政務を任せきりにせず、自ら直接政治を行う政治形態。代行者や合議制による統治に対立する概念であり、君主の強い主導権のもとで大規模な改革が断行される契機となることが多い。
政治権力のあり方を示す「親政」の概念
日本史における親政とは、主権者や最高権力者である天皇・将軍が、自らの意思によって直接政策を決定し、政務を執行する政治状況を指す。この概念は、補佐役が実権を握る「摂政・関白」「院政」「執権政治」「側用人政治」などの対立概念として理解される。親政においては、君主の個人的な資質や政治的意志が政策にダイレクトに反映されるため、旧来の因習を打破する強力な改革が実行されやすい。その反面、独裁的な傾向を帯びたり、君主の病死などによって体制が急激に動揺したりするリスクも孕んでいる。
江戸幕府における将軍親政と徳川吉宗
江戸時代の幕政においては、基本的には老中を中心とする合議制(役人政治)が機能していたが、時に将軍が主導権を握る「将軍親政」が行われた。その代表例が、8代将軍徳川吉宗による享保の改革である。吉宗は、5代綱吉や6代家宣・7代家継の時期に権勢を誇った側用人政治を排し、自ら実務官僚を直接指揮することで幕政を主導した。吉宗は目安箱を設置して庶民の意見を直接吸い上げ、足高の制を導入して有能な旗本を直接登用するなど、将軍の強いリーダーシップに基づく親政を展開し、財政再建と幕府権力の再強化に成功した。
日本史における「天皇親政」の系譜
将軍親政と並び、日本史において極めて重要な役割を果たしたのが「天皇親政」の概念である。古代においては、大化の改新後の天智天皇や天武天皇による統治、平安時代中期の「延喜・天暦の治」(醍醐天皇・村上天皇)がその典型とされる。中世には、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が、摂政や関白を置かずに強大な天皇親政(建武の新政)を強行した。さらに近代に入ると、明治維新によって「天皇親政」の理念が復活し、大日本帝国憲法のもとで国家の精神的・制度的支柱として再定義されるなど、歴史の転換期において常に重要な政治的思想として機能し続けた。