世襲
【概説】
特定の身分、役職、財産、あるいは職業などを、子孫が代々受け継いでいく制度や慣行。日本の歴史において様々な形で存在したが、特に江戸時代においては、社会の安定と支配秩序の維持を目的として、支配層から庶民に至るまで制度的に固定化された。
徳川将軍職の世襲化と豊臣氏への牽制
江戸幕府の創始者である徳川家康は、慶長8年(1603年)に征夷大将軍に就任したが、わずか2年後の慶長10年(1605年)に将軍職を辞し、子の徳川秀忠にその座を譲った。この交代劇は極めて重要な政治的意味を持っていた。当時、大坂城には依然として豊臣秀頼が君臨しており、世間では家康一代の後に政権が豊臣氏に返還されるのではないかという観測が根強く存在した。家康は秀忠への将軍職譲渡をもって、天下の覇権(将軍職)が徳川家によって代々継承される「世襲」のものであることを内外に宣言し、豊臣政権復活の可能性を完全に断ち切ったのである。
幕藩体制における身分と職業の世襲制
江戸時代に入ると、世襲のシステムは将軍家や諸大名といった支配層の政治的地位にとどまらず、社会全体の秩序維持の根幹として精緻に組み込まれていった。武士階級においては、家禄(俸禄)や役職が「家」の格(家格)に応じて世襲されるようになり、個人の能力に関わらず身分が固定された。この動きは被支配層である農民(百姓)や町人(職人・商人)にも及び、職業や社会的役割が親から子へと受け継がれることが原則となった。これにより、社会的な流動性は失われたものの、それぞれの階級内での技術の伝承や、長年にわたる社会秩序の安定がもたらされることとなった。
世襲社会の限界と実力本位への希求
制度化された世襲は、社会に高度な安定をもたらした一方で、長期にわたるなかで深刻な硬直化を招いた。能力のない者が家名や役職を継ぐことで、幕府や藩の行政能力が低下し、財政難などの危機に対応できなくなる事例が相次いだ。このため、中期以降の享保の改革などでは、有能な人材を一時的に登用するために家格や禄高を一時的に引き上げる足高の制が導入されるなど、世襲制の弊害を補うための部分的改革が試みられた。幕末期に欧米列強の脅威に直面すると、従来の世襲的な人事制度では国難を乗り切ることが不可能となり、実力主義による人材登用が不可避となり、やがて明治維新による四民平等と世襲身分制の崩壊へと繋がっていった。